これで世界の半分くらい。

  • 2010/06/20(日) 20:32:43

<現在、ウズベキスタン・サマルカンドにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月14日の日記*


というわけで、今回もエスファハーンのお話です。

6月14日はまず橋巡りに出かけてみました。
エスファハーンの街なかを流れるザーヤンデ川には17世紀に作られた石橋がいくつも架けられています。橋巡りもエスファハーンの楽しみの一つです。


宿の前の通りを南に20分ほど歩くと、ザーヤンデ川に出ます。


そこに架かっているのがスィー・オ・セ橋です。
きれいですなー。
1602年に完成したのだそうな。


この橋、車は進入禁止になっているのですが、大きな通り同士をつなぐ橋なので大勢の人で賑わっていました。
それにしても女の人はこの暑いのに大変ですなー。


橋のたもとにはチャーイハーネ(喫茶店)がありました。


河岸は遊歩道のようになっているので、下流に向かっててくてく歩いてみました。
河岸にはいろんな運動器具があったので…


やってみました(35歳)。


やってみました(37歳)。


川の中に立って釣りでもしてるのかなーと思ったら、グラスカッター(草刈り機)で水草を刈っていました。
あれって水の中でも使えるんだ。
水草が絡みついて大変そうでしたけど。


次の次に見えてきたのはチュービー橋
小さな橋ですな。


カラス…ですかね。
姿はカラスなんだけど、色がカラスっぽくない。


次に見えてきたのはハージュー橋です。
1666年に完成した橋で、上下2層構造になっています。


夏には夕涼みをする人で賑わうんだそうな。
手前に黒光りしている動物の石像らしきものが見えますかねぇ。
これ、ライオンの像なのですが、またがるとたちどころに結婚できるという伝説があるんだそうな。
たちどころって。


橋の下は非常に涼しいので、たくさんの人が涼んでいました。
っていうか平日の昼間なのに、暇そうな人が多すぎる(自分ら含む)。


橋の真ん中にあるこの部分は、夏の夜に王がしばしば宴を張ったというテラスです。
こんな涼しげなところで酒宴を催してみたいものですな。
一般の民である我々は入ることができませんでした。


橋の上はこんな感じ。
ここも車は進入禁止です。


ちらり。


イランでは川といっても干上がったようなものが多かったのですが、このザーヤンデ川は水量が多く緑あふれる感じで、そのことがエスファハーンをより美しい街にしていました。


30分ほどかけてスィー・オ・セ橋まで戻り、さらに街の南西のほうへ20分ほど歩いていくとジョルファー地区と呼ばれるところに辿り着きます。
17世紀初頭、アッバース1世がアルメニア人の優れた職人や商人などを呼び寄せたのがその始まり。「ジョルファー」というのは、現在アゼルバイジャン共和国との国境に位置する彼らの故郷の町の名前なんだそうです。アッバース1世はエスファハーンの栄光に寄与する彼らに信仰の自由を与えたため、独自のキリスト教世界が作られたんだそうです。
ちなみに世界で最初にキリスト教を国教として取り入れた国アルメニアなんだそうです。ちょっと意外。


ジョルファー地区には13のアルメニア教会があるのですが、そのうちの一つであるヴァーンク教会(入場料30000Rls、約300円)。


この写真を見ると、一瞬イスラームのマスジェドのように見えますが、よーく見ると…


てっぺんに小さな十字架が立っているので、キリスト教会だとわかります。
この内部に描かれている「最後の審判」など旧約聖書の場面やアルメニア人にとっての聖人の画などが、それはそれは見事でした。正直あまり期待しないで行ったのですが、思った以上でした。
…が、残念ながら撮影禁止でした。見たい人は自分で行ってください。結構すごいです。

ここにはアルメニア博物館が併設されています。
エスファハーンに移住したアルメニア人がいかにして信仰と文化を守ってきたかを伝える博物館で、民族衣装や絵画、アルメニアン・ギターなど、かなり多岐にわたった展示物がありました。
さまざまなアルメニアン・バイブルに混じり、世界最小の本とされる重さ0.7グラムの聖書なんてものもありました。どうやって書いたのかわかりませんが、聖書の言葉が記された髪の毛なんてものもありました(←顕微鏡で見る)。
また第一次世界大戦時にトルコが行った、その数150万人と言われるアルメニア人大虐殺に関する展示といった、非常に興味深いものもありました。


エスファハーンにはまだまだ見どころがあるのですが、ボクらが行ったのはだいたいこんなところです。これでだいたい世界の半分を紹介することができました。
以前の日記にも書いたように、ウズベキスタンへのフライトの関係で1週間ほどエスファハーンにいたのですが、見どころも多いのでのんびりするにはいい街なんじゃないでしょうか。特にエマーム広場は何度行っても見飽きることがありません。
ただし夏場の昼間はひっじょーに暑いので、歩き回るのは比較的気温の高くない朝夕をお勧めします。じゃないと、干乾びます。


さて、次回は予定外で長居してしまったイランを離れ、ウズベキスタンへと移動した時の話です。
飛行機を利用したにもかかわらず、かなりハードな移動になりました。

よぉーし、もうじき日記が実際の行程に追いつくぞー。

[PON]

これで世界の3分の1くらい。

  • 2010/06/19(土) 19:57:38

<現在、ウズベキスタン・サマルカンドにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月12日〜15日の日記*


さて、今回もエスファハーンのお話です。
まずはエマーム広場の続きから。


エマーム広場をぐるっと取り囲む回廊に沿って、絨毯屋や工芸品屋、お菓子屋など、多くのおみやげ屋が軒を連ねています。
鉄を器用にとんかんとんかん叩いているおじいちゃんがいました。職人!って感じですな。


カーペット屋のおじいちゃん。こちらもいかにも職人!って感じですな。
他のおみやげ屋に自分の作ったカーペットを卸しているんだそうです。


「シルクロード紀行」にこのおじいちゃんの記事が載ったことがあるんだそうな。

すっかり忘れていましたが、『イスファハーンのエマーム広場』はユネスコの世界遺産に登録されています。ボクらにとって33個目の世界遺産です。


6月15日はマスジェデ・ジャーメに行ってみました。
エマーム広場の北側にあるゲイサリーイェ門を抜けると、延々と続くバーザールがあります。かつてはエスファハーン経済の中心だった場所です。

門の北側に広がっているのはバーザーレ・ゲイサリーイェ
観光客向けの工芸品屋や絨毯屋などが多いです。
この辺りは迷宮のように道が入り組んでいます。迷子になりそう。


北東の方へずんずん歩いていくとバーザーレ・ボルゾグと名前を変えます。
この辺りは日用品や衣料品が中心となり、地元の人たちであふれかえっていました。


バーザールを抜けたところにマスジェデ・ジャーメがありました(入場料5000Rls、約50円)。
エスファハーンで最も古いマスジェドなんだそうな。


入り口を入ると左手に礼拝堂がありました。
この礼拝堂は何度も拡張されているため、何種類もの建築様式が混在しているんだそうです。


今まで見てきた礼拝堂とはかなり趣きが異なりますね。
なんだか落ち着いていていい感じです。


中庭に出ると、四方にどどーんとエイヴァーンとメナーレがそびえます。
これらにはそれぞれ托鉢僧のテラス、弟子のテラス、主のテラス、師のテラスと名前が付いています。
その心はあらゆる人に開かれたマスジェド、つまり「このマスジェドはみんなのものですよー」ということを表しているんだそうです。


よく見るとメナーレのてっぺんには手が付いてますな。


天井の装飾はこんな感じ。


華やかなタイル装飾を見続けてきたので、こういうのを見るとなんだかほっとしますな。
渋さが光りますな。


修復作業中。
上を向いての作業は大変そうです。

以上、マスジェデ・ジャーメでした。


エマーム広場は観光スポットであると同時に、市民の憩いの場でもあります。


昼間こそ暑いので人影はまばらですが、涼しくなってくる夕方辺りから徐々に人が増え始めます。
特に金曜ともなると、芝生の上は家族連れやカップルで埋め尽くされてしまいます(金曜日はイスラーム教における休日)。
ボクらも何度この広場に足を運んだかわかりません。


持ってきた絨毯を敷いてピクニックをしている人たちがたくさんいます。
簡易コンロを持ってきてお茶を入れたりしている人もいました。サッカーや鬼ごっこをする子供たちの声もあちこちから聞こえてきました。
広場にあるソフトクリーム屋は、それはそれは毎晩大繁盛でした。


エマーム広場は朝来ても昼来ても夜来ても、それぞれに違った美しさを見せてくれます。


きれいですなー。


そんなエマーム広場に買ってきて食べたものをいくつか紹介しましょう。


エスファハーン名物のベルヤーニー(32000Rls、約320円)。


挽肉にスパイスやアーモンド片を混ぜたものを鉄板の上で炒め、ナーンにくるんでくれます。


なんて表現したらいいんですかねー。
固まっていないハンバーグみたいな感じで、美味しいんですが…非常に食べにくい。
食べているうちに崩れた肉がぼろぼろこぼれてしまいます。


巨大なサモサ(左)と巨大な揚げパン(右)。どちらも6000Rls(約60円)。
サモサはピリッと辛くて美味い。
揚げパンの方はちょっと味の薄いピロシキみたいな感じです。


これもエスファハーン名物のギャズという砂糖菓子です(10個で8000Rls、約80円)。
豆が入っていて、懐かしい感じの味がします。


行列ができていた店で買ったライスプディング(5000Rls、約50円)。
甘い粘り気のあるおかゆにカラメルシロップをかけたような感じです。
美味いっす。


ここはものすごい行列のできている店でした。
でかい鍋を持参して買いに来ている人もいました。


で、これが何かというと…何なんでしょう。
ものすごーい粘り気のあるシチューというかなんというか。食感はゆるい餅みたいな感じです。スパイスや揚げタマネギらしきものが散らしてあります。
いろんな大きさのカップがあって、この大きさで13000Rls(約130円)。
あまりにみんな買っているので、ボクも勢いで買ってみたのですが、味はというと薄いカレーみたいな感じ。サフラン満載の香りがするのですが、辛くはありません。
美味いことは美味いのですが、量が多すぎて、というか味が単調すぎて食べ切れませんでした。
そもそもこのまま食べるものなのか、ナーンか何かに付けて食べるものなのかもわかりませんでした。
謎料理です。


世界の半分と称されたエスファハーン、2回目の紹介でした。
これで世界の3分の1くらいが紹介できたことになりますな。
次回が最終回の予定です。

[PON]

世界の6分の1くらい。

  • 2010/06/16(水) 22:16:43

<現在、イラン・エスファハーンにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月11日〜12日の日記*


さて。
思いがけずビザ取りが打ち切りとなってしまい、おまけにボクは謎の熱を出すし、KAOも体調崩し気味だったので、4日間ほどのんびりとテヘランで過ごした後、ボクらにとってイランでの最後の目的地エスファハーンへ向かうことにしました。
エスファハーンは国内外を問わず一番人気の観光地のようで、エスファハーン以外の街でイラン人に「どこの街に行きましたか?」という質問をされ、まだエスファハーンに行っていないことがわかると、「エスファハーンに行った方がいい。あんなに美しいところはない。」とみな口を揃えて言うほどです。
前回の日記に書いたようにフライトの関係でまだ日数を持て余していた我々は、その美しいと言われる街に1週間ほど滞在することになりました。

6月11日、朝6時半頃に宿を出発し、エスファハーン行きの長距離バスが出ているテルミナーレ・ジョヌーブへ向かいました。
バスターミナルに着くと、ちょうど20分後くらいに出るバスがあるとのことだったので、チケット(65000Rls、約650円)を買ってバスに乗り込みました。

7時間ほどでエスファハーンのテルミナーレ・カーヴェに到着。
いつものように着いたばっかりの街のバスはよくわからないので、タクシーをとっ捕まえてお目当ての宿へ。
着いたのはアミーレ・キャビールというホテル。エスファハーンはイランきっての一大観光地で宿も比較的高めなのですが、その中でもこのアミーレ・キャビールは比較的安めで、昔からバックパッカーに人気の宿なんだそうです。
トイレ・シャワー共同、冷蔵庫・テレビ付きのツインルームで、言い値200000Rlsを180000Rlsにしてもらいました。いつもはテレビなんて必要ないのですが、今回ばかりはW杯の日本戦が観たかったのでありがたかったです。



こんな中庭がありました。

イラン入国以来、テヘランで1組の夫婦に一瞬会った以外は全然日本人と顔を合わせることがなかったのですが、この宿には2組の日本人夫婦&カップルが滞在中でした(夫婦の方はテヘランで会ったのと同じ人たち)。6人で話す機会があったのですが、2組とも長期旅行者でなかなかおもしろい話を聞けたり、有意義な情報交換をすることができました。
この後、2組ともUAE経由でアフリカへ行かれるのだそうです。どこかでまたお会いしたいですなー。
どうかお気をつけてよい旅を!


イラン高原最大の川ザーヤンデ川の中流に位置するエスファハーン「イランの真珠」ともたとえられる古都です。
エスファハーンの栄華は1597年、サファヴィー朝の王アッバース大帝(1世)がこの地を首都に定めたことに端を発します。大帝は自らの基本設計のもと都市計画を推進し、エマーム広場を中心に、宮殿や寺院、バーザール、橋など、壮大な街並みが造り出されていきました。絹の輸出を中心に経済も発展、細密画やタイル美術、陶器など、ペルシア芸術の開花も見せ、繁栄を極めました。
その栄華を目にしたヨーロッパの商人や外交使節は「エスファハーンは世界の半分」という言葉で賞賛を惜しまなかったんだそうな。

というわけで、そんな世界の半分のエスファハーンを3回くらいに分けて紹介していきます。今回はその1回目。
6月12日、まずはエマーム広場へ。
政治・経済・信仰のすべてが集約されたエスファハーン最大の見どころ、エマーム広場の全景が…



こちらでーす。
すごいー。美しいー。広場そのものが巨大な美術品かオープン・ミュージアムのようです。
手前から奥に向かって、長ーい長方形の広場となっていて(縦510m、横163m)、その広場をぐるっと取り囲むように美しい建造物が建っています。回廊部分には通路があって、絨毯屋や工芸品屋など多くのおみやげ屋が軒を連ねています。
この広場、かつてはポロ競技が行われたこともあり、写真の手前の方に写っている白い石柱はゴール跡だそうです。

エマーム広場を大雑把に紹介すると…



西側にあるアーリー・ガープー宮殿



南側にあるマスジェデ・エマーム



東側にあるマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー
で、北側にはバーザールの入り口にあたるゲイサリーイェ門があります。

見どころだらけのエマーム広場、探索開始!



…の前に、まずは朝っぱらからソフトクリーム(4500Rls、約45円)。
朝飯代わりです。



広場の西側にあるアーリー・ガープー宮殿へ(入場料5000Rls、約50円)。
これはイランで最初の高層建築なんだそうです(7階建て)。大きなバルコニー(一部修復中)の中央には池があり、18本の柱が屋根を支えています。
かつてポロ観戦を楽しんだというそのバルコニーからの眺めは、それはそれは素晴らしいものでした。
例えば…



ちょうど正面に見えるマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー。
ここからエマーム広場が一望できるのですが、広すぎて1枚の写真に納まりきらないのが残念なくらい美しい眺めです。



宮殿内部にあった、イスラーム圏では珍しいミニチュアール(細密画)。
偶像崇拝を禁止するイスラーム教の国では、こういった画を見かけることはほとんどありません。



宮殿内部の装飾。
でかすぎて全部入りきらん。

そして最上階にあるのが…



音楽堂です。



これらの穴は装飾的な意味合いを持つとともに、音響効果を計算して開けられたものなんだそうな。
一見木製に見えますが、漆喰だそうです。
美しいですなー。


次は広場の南側にあるマスジェデ・エマームへ(入場料5000Rls、約50円)。
全景を紹介した写真を見てもらえばわかるかと思いますが、入り口にあるエイヴァーン(門のようなもの)とその奥にあるエイヴァーンが45度の角度をなしているところが最大の特徴です。奥にあるエイヴァーンがメッカの方角を向いているそうなのですが、こういった構造は世界でも類を見ないそうです。



どぉーんと入り口にそびえるエイヴァーン。
マスジェデ・エマームはイスラーム芸術と寺院建築を極めた、サファヴィー朝時代の最高傑作といわれるだけあり、中も外も美しいのひと言に尽きます。しかもでかい。



アップ。
すごいなー。鍾乳石造りというんだそうです。



で、これが入り口を入った中にある、奥の方に見えていたエイヴァーン。
中は中央礼拝堂です。



その天井。
どこを見回しても、その素晴らしいタイル装飾に息を呑みます。



このドームは外側のドームの高さが54m、内側は38mと二重構造になっているため、かなり小さな音でもさまざまに反響し、建物全体にこだまします。
真ん中の床石を踏み鳴らすと、何回もの反響音が返ってきます。ちょっとささやくだけでも響いて聞こえるので、おもしろがってずっとやってました。



ちょっとした通路の装飾も素敵な感じです。



中央礼拝堂の両側には神学校がありました。



中庭から見上げたところ。
ドームを頭、メナーレ(尖塔)を手に見立てると、人が祈っているように見える…とのことなのですが、ちょっと苦しいかな。


マスジェデ・エマームから出てきたところで、目下日本語を勉強中という絨毯屋の兄ちゃんに遭遇。



教えて欲しいところがあるというので、彼の絨毯屋で勉強会。
彼の疑問点は…

「高い」の反対は「高くない」なのに、なんで「いい」の反対は「いくない」じゃダメなの?
(正解は「よくない」)

…。
えーっと、それは…。
あぁ、日本語ってトリッキー
四苦八苦しながら説明して、何とか納得してもらいました(正しい日本語は「いい」ではなくて「よい」だから…とかなんとか)。
ついでにバラバラになってしまった日本語テキストを順番通り並べ直す作業もやらされました。
まぁ、お茶をご馳走になったのでよしとしますか。
それにしてもすごい勉強熱心だったなー。
がんばれよー。


昼食後、マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーへ(入場料5000Rls、約50円)。



入り口。
すげー。



アップ。
すげーー。



さらにアップ。
すげーーー。
このエイヴァーンの鍾乳石造りが一番美しかったように思います。

このマスジェドで特筆すべきはその美しいモザイク模様の作り方です。
ドームの外部、内部ともにタイルに絵柄を描いているのではなく、彩色された小さなタイルを組み合わせて並べることによってさまざまな柄を作り出しているのです。
着工から完成までに17年を要したというのもうなずける話です。
ちなみにこれは王族専用のマスジェドなので、中庭やメナーレがありません。



これまた美しい装飾の短い通路を抜けると…



どどどーんとでかい礼拝堂
これは美しい。



ドームの天井もこんな感じ。
写真で十分表現しきれないのが本当に惜しいです。
個人的にはこのドームの内部の装飾が一番印象的でした。
とにかく美しい。
青を基調とする装飾が多い中、このマスジェドは内外ともに黄色を多用していました。



メフラーブ(メッカの方向を示す壁のくぼみ)も美しい。
周りのアラビア文字が装飾の様でもあり、これまた美しい。



上にのっかっているタマネギ(ドーム部分)はこんな感じです。
他のマスジェドとは色合いがだいぶ違いますね。


これでやっとエマーム広場BIG3の見学終了。
長くなってきたので、今回はここまで。
さすがは世界の半分と称されたエスファハーン、見どころ満載です。
これでやっと世界の6分の1くらいを紹介できました。

[PON]

続・ビザ取り物語。

  • 2010/06/15(火) 22:04:47

<現在、イラン・エスファハーンにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月6日〜10日の日記*


今回はテヘランでのビザ取りの話の続きです。
まずはヤズドからテヘランへ戻るところから。

6月6日夕方、宿からテルミナーレ(バスターミナル)へタクシーで移動(20000Rls、約200円)。
言い寄ってきたバス会社の人に連れられ、言い値90000Rls(約900円)を80000Rls(約800円)に値切って交渉成立。
21時発のバスでテヘランへと向かいました。

朝、突然起こされて道ばたでバスを降ろされました。
…あれ?ここどこ?
どうやらこのバスはテヘランが終点ではなかったらしく、よって本来到着するであろうと思っていたテルミナーレ・ジョヌーブではなく、テルミナーレ・ガルブというバスターミナルの近くの道ばたで降ろされてしまった、ということらしい。
テルミナーレ・ジョヌーブだったらメトロの駅がすぐだったのに…。
っていうか、朝4時だし。
泊まりたい宿の方へ行くバスもよくわからなかったので、ちょっと遠いけど最寄りのメトロ駅(と言っても1時間くらいかかる)まで歩くことにしました。

まだ薄暗い中、重い荷物を背負ってふたりで黙々と歩いていたら、横に1台の車が止まりました。
のぞきこむと、若い兄ちゃんが「これ、食べろ!」とナーンを差し出してくれました。しかも今メトロの駅に向かっていることを告げると「じゃあ、乗ってけ!」と、駅まで送ってくれました。
兄ちゃんはまるで英語がしゃべれなかったのですが、優しさは十二分に伝わってきました。
兄ちゃん、ありがとう!ナーンも美味かったよ!

それにしてもイラン人は優しい
今まで日本の街なかで歩いている外国人を乗っけてあげたことなんかないもんなー。
日本に帰ったら、日本にやって来ている外国人に優しくしてあげようっと。


というわけで、無事テヘランの宿に到着。前に泊まっていたのと同じ、ホテル・メフルです。
宿代も前と同じ1泊200000Rls(約2000円)で、たまたま部屋も前と同じでした。
長距離移動で疲れていたのでこの日はのんびりと過ごしました。


さて翌日、ここからビザ取り物語の続きです。

〜13日目(6月8日・火曜日)〜

朝早く起き、この日も2時間かけてウズベキスタン大使館へ
15USDを支払い、6月15日から30日間有効のツーリストビザを無事発行してもらうことができました
テヘランに着いてから、実に13日間も要してしまいました。自分らの手際の悪さもあったとは言え、長かったなー。

さて、のんびりはしていられません。次はその足でトルクメニスタン大使館に行きトランジットビザを申請しなくてはならないのですが、大使館は11時で閉まってしまいます。
急げー!
まずは近くのコピー屋でできたてほやほやのウズベキスタンビザをコピー(←トルクメニスタンビザの申請に必要)。
トルクメニスタン大使館までは徒歩で1時間ほどかかるとのことだったので、金は惜しいですが間に合わなかったらまた明日になってしまうので、タクシーを捕まえました。
するとタクシーの運ちゃんは日本語ぺらぺら

(いつのことだかは忘れましたが)イランと日本間はビザなしで渡航できた時期がありました。その時日本へ出稼ぎに行っていたイラン人が結構いるので、「1年くらい日本で働いていたことあるよー」というイラン人にちょいちょい出会います(ちなみにその時期東京で偽造テレホンカードを売っていたイラン人がたくさんいたので、「イラン=偽造テレホンカード」という図式が出来あがったんだそうな)。
彼もその一人で(偽造テレホンカードを売っていたわけではない)、八王子で働いていたんだとか。ちなみに彼の十八番は鳥羽一郎の「兄弟船」だそうです。
ちなみにイランで有名な日本人を三人あげるとすれば、黒澤明おしんキャプテン翼ですかね。特に年配男性の黒澤明好きは結構多いと思われます。さすがは世界のクロサワ。

話がそれましたね。
タクシーの運ちゃんと日本の話で盛り上がっているうちに、無事トルクメニスタン大使館に到着。
言い値30000Rls(約300円)だったタクシー代を25000Rls(約250円)に負けてくれました。おっちゃん、ありがとう。

門にあったチャイムを押すと…返事がない。もう一回押しても…返事がない。
5分くらいやっていたら、やっとインターホンに人が出ました。
「あのー、ビザを取りに来たんですけど。」
「ビザセクションは来週まで休みです。たぶん16日か17日には業務を再開します。(ガチャ)」

…え?なんて?
今日は8日。ってことは、10日間くらい休みってこと?
マジで?

というわけで、トルクメニスタン大使館の前に座り込み、ふたりで緊急会議です。
もしビザを取るとなると、17日頃まで待って申請。そこから受領まで5日くらいかかるとすると、ビザを受け取れるのは22日とか23日あたり(というか、それすら怪しい)。
一方イランビザが切れるのは24日。
…無理やーん!
イランビザの延長という手もありますが、延長代、トルクメニスタンのビザ代、それまでの滞在費など諸々を考え合わせた結果…
残念ですがトルクメニスタン行きを諦めようという結果に達しました。

通常5日しか滞在できないような、そんなマイナーな国トルクメニスタン
ちょっと行くの楽しみにしてたんだけどなー。ガスクレーターとかメルヴ遺跡とか、行ってみたかったんだけどなー。
残念。
つーか…大使館員、ちゃんと働けってば!休みすぎじゃー!


というわけでビザ取り物語、これにて終了。
本当はあと1週間分くらい続いて、両国のビザゲットー!となるはずだったのですが、13日目で終わりです。
この日はがっかりして宿の方まで戻り、やけ酒…といきたいところですが、アルコールがないので甘いものをやけ食いしました。
ま、甘いもの食いまくってるのはいつものことですが。


さて。
トルクメニスタンには行けなくなりましたが、せっかく苦労してビザも取ったことだしウズベキスタンには行きたい
陸路で行こうと思えばアフガニスタンを通るしかないですが、それはちょっとイヤ(というか無理)。
となると、空路しかありません。
いろいろと調べてみたところ、現実的なのはイラン航空もしくはウズベキスタン航空でテヘランからウズベキスタンの首都タシュケントへ飛ぶことのようです。
ウズベキスタン航空はオフィスがどこにあるかわからないし、HPもロシア語でさっぱりわからない(最初は英語でも途中からなぜかロシア語になってしまう)ので却下。
というわけでイラン航空をターゲットにイラン航空オフィスや旅行代理店を何軒かまわってみました。ガイドブックに日本語を話せるスタッフがいると書かれていた旅行会社に行ってみたところ、そんなスタッフはいなかったのでがっかりしたりしながら歩きまわってみたところ、値段はどこも一緒で2670000Rls、約26700円です。
うーむ、ちと高いが仕方あるまい。陸路だったら全然安く行けたのになー。トルクメニスタン大使館のバカー!

…などと文句ばかり言っていても仕方ないので、値段が一緒なら一番確かそうなイラン航空オフィスへ。
調べてもらったところ…週に1便(金曜日)しかないらしい。
ウズベキスタンビザは6月15日からしか有効でないので、必然的に18日(金曜日)のフライトに決定。
…出発まで10日間もある(この日は6月9日)。もうイランに10日間もいらないのに…。何から何までうまくいかないなー。トルクメニスタン大使館のバカー!←しつこい

ところが片道航空券を買おうとしたところ「30日ビザの方には片道航空券を売ることはできません。」とのこと。
…おや。
諦めてすぐ隣の旅行代理店へ行ったところ、あっさり買うことができました
もしかしたら空港でもめるかもしれないなー。帰りのチケット買えとか何とか。まぁ、その時はその時だ。

ちなみに以前書いたようにイランではクレジットカードは使えません。しかもイランリアル払いでしか受け付けてくれないとのことだったので、USドルを両替してもって行きました。この国の最高額紙幣は50000Rlsなので、2人分で100枚以上の50000Rls札を持っていきました。おっかねー。


さぁ、これでウズベキスタン行きの準備完了です。
あとは最後に残しておいたイラン最大の見どころ、エスファハーンへ行くだけです。
次回からはそのお話。


そういえば。
この日、あちこちに行くのでメトロの1日券を買ってみたのですが、4500Rls(約45円)で2回券(往復券)と同じ値段でした。
どういうこと?ボーナスチャンス?←何

ついでなので、イランで気付いたことをいくつか。

テヘランの街なかにあった公衆便所、なんとオートロックでした。
個室に入ると自動的に鍵がかかり、用を足した後で壁のセンサーに手をかざすと、水が流れると同時に扉が自動的に開きます。
最初、どうやって出たらいいかわからなくて、かなりあせりました。
オートロックのトイレ、日本にありますか?

公衆便所で「個室に入った」と書きましたが、別に大をしようとしたわけではありません。
イランでは男性用の小便器がありません。少なくともボクは一度も見かけていません。
どんな形式であれ、男性用の小便器がない国はイランが初めてな気がする。

さらにトイレネタをもう一つ。
イランではどうやら「足を洗う」という習慣があるようです。トルコでも見かけた気がするのでイスラーム圏の習慣かもしれませんが、トイレの手を洗う場所で靴と靴下を脱ぎ、転びそうになりながら足を洗っている人を本当によく見かけます。
その後靴下を履くためのものなのか、トイレの中にベンチが置いてあることもたまにあります。

イランは結構タバコが安いです。
メーカーにもよりますが、ボクらが好んで吸っているCimaとかいう韓国製のタバコは1箱8000Rls(約80円)くらいです。
タバコを吸う男性はかなり多いですが、少なくとも外でタバコを吸っているイスラームの女性は一度も見かけたことがありません
KAOはかなり肩身が狭いようです。

特にテヘランの若い女性はめっちゃ化粧が濃い人が多いです。
ちょっとやり過ぎなんじゃないかくらいの勢いで、化粧のコマーシャルばりにアイラインとか引いてます。
ちょっと怖いくらいです。

女性用の服を中心に扱っているマーケット街の一角に、セクシードレスというか、胸元がガバッと開いたようなパーティードレスがたくさん並んだ店がいくつもあり、多くの女性客で賑わっていました。
あの…みなさん、それをどこで着るんですか?
ご存知のように、イスラーム教では服装規定があります。特に女性の場合は厳しくて、肌や髪を見せてはならず、体のラインが見えるような服装をしてもいけないことになっているため、大半の人はチャードルという黒い布を頭からすっぽりとかぶった、カオナシのような格好をしているわけですが…。
だとすれば…買ったところでこのドレスはどこで?家の中?
いまだに聞けずにいます。

以上、イランで気付いたこと、小ネタ集でした。


おぉ、今回は見事に写真が一枚もなかったな。
じゃ、最後にKAOの新しいイスラーム衣装をお目にかけて、お別れすることにしましょう。



あ、すいません。間違いました。←やらされた



なんか、意外とかっこよくてくやしい。旅人っぽい。
165000Rls(約1650円)でした。
つーか、なんで上見てんの?口開いてるし。

[PON]

迷路の街。

  • 2010/06/14(月) 21:55:06

<現在、イラン・エスファハーンにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月4日〜6日の日記*


イランでサッカー見てましたよー(こちらでは18:30キックオフ)。
勝ちましたなー。
正直3連敗で終了なんだろうなーと思っていたのですが、意外とやるもんだ。


さて、ペルセポリスで古代遺跡を満喫したシーラーズからヤズドという街へ移動しましょう。

まずはショハダー広場からタクシーに乗ってテルミナーレ・カーラーンディーシュ(長距離バスターミナル)へ。
前日予約済みの8時発のバスに乗り込んでヤズドへと向かいます。



ヤズドは砂漠の街
近づくにつれ、車窓にはこんな景色が広がります。

6時間ほどでヤズドのテルミナーレに到着。
ちなみにこのバス、6時間トイレ休憩無しという恐怖のバスでした。
ふたりとも危ないところでした。

例によってタクシーの運ちゃんがわらわらと言い寄ってきます。宿まで20000Rls(約200円)で交渉成立。
途中からは細く迷路のように入り組んだ道を通って宿に到着。Kohan Traditional Hotelというところなのですが…



これが思った以上に素敵なところで。
緑と池が美しい、こんな中庭がありました。



そしてこちらがドミトリー。
全部で15ベッドある広ーいドミトリーだったのですが、なんと宿泊客はボクらふたりだけ(2泊3日の間ずーっと)。そりゃあもうやりたい放題です。荷物広げまくり。
ドミトリーの中にシャワーが付いているので、完全なプライベートルームとして使うことができました。冷蔵庫も付いています。
これで1人50000Rls(約500円)。しかも朝食付き!素晴らしい!
宿の人もほとんどからんでこないので、居心地も抜群でした。
というわけで、イランの宿・ベストコストパフォーマンス賞受賞です。おめでとうございます。
というか、あんなにがらがらで経営大丈夫か?


さて、飯でも食いますか。
今回はホテルで食べてみることにしました。



ホレシュテ・ゲイメ・ヤズディーというヤズドの名物料理。
レンズ豆を煮込んだシチューです。ご飯付きで40000Rls(約400円)とちょっと高めでしたが、非常に美味かったです。


ボクらの泊まっていた宿の辺り、一歩外に出ると…



こんな感じで、辺り一帯が土壁の街になっています。



しかも道路が迷路のように入り組んでいるので、一度方感覚を失うとそりゃあもう迷ってしまいます。



どの角を曲がってもこんな色の建物かこんな色の壁ばかり。
その感覚がおもしろくもあり、ちょっと怖くもあり。
この街でケイドロやったらおもしろそうだな。どっちも泣きそうになること必至。



スリットの付いた太い煙突のようなものが何本か見えるかと思います。
これはバードギールと呼ばれるこの地方特有の、いわばエアコンシステムです。わずかに吹く風を取り入れ口を通じて取り込み、屋内に設けられた換気口から涼しい風が吹き出す、という仕組みになっているそうな。砂漠の街に住む人々の知恵ですな。



これは確か宿の近くにあった十二エマームの霊廟という、ヤズドで現存する最も古い建造物なんだとか。



そんな迷路で出会った兄妹。
こんなに小さくても、女の子だからスカーフ。

何だかこの街の雰囲気、好きだなー。
宿が良かったせいもあり、ヤズドはボクらのお気に入りの街になりました。


日が傾きかけて、ちょっと涼しくなってから散歩に出かけました。



19時過ぎなのに、まだまだだいぶ暑い。



ヤズドのシンボル的寺院であるマスジェデ・ジャーメは残念ながら修復中でした。
ここのメナーレ(尖塔)はイランで一番高いんだそうです。



夕日に染まり始めたマスジェデ・ハズィーレ
シーラーズと違って、ヤズドのメナーレは非常に高いですね。



街の中心にあるアミール・チャグマーグのタキーイェです。
これは15世紀に建てられた、寺院やバーザールなどの複合施設なんだそうです。
夕方涼しくなってくると、どこからともなく街の人々がこの広場に涼を求めて集まってきていました。ボクらもよくこの広場で一服したり、ジュースを飲んだりしていました。



夜になるとこんな感じでライトアップ。
美しいですなー。
ちなみに真ん中の入り口から入っていくと、奥はバーザールになっています。


さて翌日。



まずは朝ご飯。
トルコもそうだったけど、イランの白いチーズはかなりしょっぱいです。



朝ご飯はこんなところで食べます。
外側は土壁の狭い迷路みたいになっているのに、一旦敷地内に入るとこんなに開放的な建物です。


今日は沈黙の塔というところへ行ってみることにしました。

結構離れたところにあるので、バスを乗り継いで行かなければなりません。
まずは最初のバスの乗り場辺りまで30分ほど歩いたのですが、いまいち乗り場がわからず。そこら辺の人に聞いてみると「沈黙の塔へはタクシーで行った方がいいよ」と言われたり。
それでもなんとかバス停らしきところに辿り着き待っていると、目の前に1台の車が。運転席をのぞくと、そこに座っているのはさっき道ばたでタクシーを勧めてくれた兄ちゃんではありませんか。
「今日は休みで暇だから、オレが連れて行ってやるよ。乗りな!」
…マジですかー!兄ちゃん、かっこいぃー!
どうやらあの後、わざわざ家に戻って車を取ってきてくれたらしいのです。素敵だー。
というわけで、あっさりお言葉に甘えることにしました。

車をぶっ飛ばすこと30分、沈黙の塔に到着。
彼は帰りも送ってあげるよと申し出てくれたのですが、沈黙の塔見学にどれくらい時間がかかるかわからず、その間ずーっと待っていてもらうのが非常に忍びなかったので、ありがたく気持ちだけ頂いておきました。
兄ちゃん、本当にありがとう!助かったよ!



で、これが沈黙の塔
ヤズドの街外れ、この荒涼とした雰囲気が何だかとてもかっこいい。

この沈黙の塔ゾロアスター教徒の遺体を葬る鳥葬(風葬)の場として実際に使用されていた岩山の塔です。
ゾロアスター教はイラン人固有の宗教で、人類史上初の啓示宗教です。拝火教と訳されるこのゾロアスター教は火、水、大地を神聖視し、それらを汚すことになる火葬や土葬を嫌いました。そのため、遺体を鳥葬場に安置し、鳥さんに食い尽くしてもらって自然に還すという独特の風習が生まれたわけです。
しかし1930年代にレザー・シャーが鳥葬を禁止したため、現在は土葬を取れ入れることを余儀なくされているんだそうです。
現在ゾロアスター教徒は非常に数が減り、ここヤズドなどイランに2万5000人、インドやパキスタンに8万5000人を残すのみとなってしまったそうな。



灼熱の中、岩山に向かって登っていきます。

頂上まで登り、岩の裂け目から侵入。直系10mぐらいの円形の壁で囲まれた低い塔がありました。



壁の内部。真ん中のくぼみが遺体を安置した鳥葬場です。
塔が壁だけで屋根が無いのは、鳥さんたちがやって来られるようにするためですね。
左の人は何してるんでしょうね。鳥のイメージですかね。



塔からは砂漠に囲まれたヤズドの街を一望することができました(無理矢理ポートレート風)。



街と反対の方向に目を向けると、こんな荒涼とした風景が広がっていました。



丘のふもとにあるこれらの土壁の建物は、対のバードギールを備えた貯水池、通夜などに使う集会場、現在ゾロアスター教徒が土葬に使っている墓地などだそうです。



隣の低い丘にはもう一つ鳥葬場がありました。



帰りも結構大変。
ちなみにこの辺りは若いイラン人がバイクでわんさか集まってきて、オフローダー場と化すこともあるんだそうな。まぁ、確かに走るには楽しそう。

この沈黙の塔、街から来るのがちょっと面倒なので、正直すっ飛ばそうかとも思っていたのですが、来てよかったです。
なんて説明していいかわからないのですが、この独特の雰囲気がいい感じでした。
来る価値あり、です。

帰りは他の交通機関がありそうになかったので、近くの道に出てタクシーをとっ捕まえました。
街まで25000Rls(約250円)でした。


甘味処へ寄り道。



地元に人に猛烈に勧められて食べてみたイランスイーツ。PALODAという名前らしいです。
寒天で作ったっぽい短い麺のようなものがシロップに浸かっていて、上にかかっているのはたぶんバラソースだと思います。
冷たくて美味い。

宿までの帰り道、暑い中てくてくと歩いていたら、同じ宿のイラン人家族がボクらのことを見つけてくれ、車で宿まで一緒に乗っけてってくれました。
一度もしゃべったことなかったのに、ありがたいことです。
イランの人は優しいですなぁ。



その家族の子供と一緒に写真撮ろうとしたら、逃げられてました(笑)。


最後にヤズドで食べた美味しいもの。



以前アーブグーシュトとして紹介したものですが、この街ではディーズィーという名前でした。
ではディーズィーの正しい食べ方をどうぞ。



スープと具の入ったボウルにナーンをちぎって入れます。スープの量はお好みで。



専用の棒でひたすらつぶします。
で、食べます。
ぐっちゃぐちゃですが美味いです。
いくつかの場所でこの料理を食べましたが、ヤズドの宿で食べたこれが一番美味かったです。


以上、ヤズドでした。
次回はテヘランに戻って、ビザ取り後半戦です。

[PON]