ウズベキスタンのアツい移動。

  • 2010/07/13(火) 14:27:57

<現在、グルジア・トビリシにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年7月7日〜8日の日記*


さぁ、大目標を達成したウズベキスタンからアゼルバイジャンへと移動することにしましょう。

7月7日の夕方、まずは本当に本当にお世話になった宿のみなさんにお別れ。


大きくなれよー。


アブドゥルさん(右端)をはじめSaraffonのみなさん、本当にお世話になりました(アブドゥルさんの奥さんだけ、タイミングが合わなくて一緒に撮れなかった)。
寛平ちゃんのことだけじゃなくて、ご飯も美味しかったし、いろいろと気を使ってくれたし、何しろ居心地のいい宿でした。
今までで一番去りがたい宿だったなー。
ありがとうございました!


というわけで、移動開始。
まずは宿の近くからマルシュルートカ(バンの乗り合いタクシー)に乗って、ブハラ駅へ(ブハラ駅はブハラから12kmほど離れたカガンという街にある)。


インド以来の列車移動です。
ちなみにウズベキスタンでは鉄道や地下鉄の駅は撮影禁止なので、隠し撮り。見つかるとポリスがすっ飛んできて、カメラを没収されるらしい。

さぁ、快適な列車の旅…と思いきや。
これまためちゃくちゃ暑いし。
窓は開くのですが、とりあえず日中めいっぱい熱せられた車両の内部は、恐るべき暑さでした。発車するまでの1時間、そして発車してから日が沈むまでの2時間は蒸し風呂のようでした。
暑いのが辛いから、バスじゃなくて列車にしたのに…。
うぅ。


車窓から見る夕日。
日没後は徐々に気温が下がって、夜は快適に寝ることができました。
一番安い寝台にしたのですが、2段でそんなに狭苦しい感じでもありませんでした。


19:25にブハラ駅を出発した列車は、翌朝6:30頃にタシュケント駅に到着。
駅前をうろうろして目的のバスを見つけ、タシュケント国際空港へ。


バスを降りると、タクシーの運ちゃんが声をかけてきました。
いやいや、飛行機乗るために空港に来たところだから。

余っているお金で軽く朝食を食べ、空港内へ。
出発まではまだ5時間くらいあったので、日記を書いたりしながら時間をつぶしていると…


サマルカンドの宿で一緒だった日本人2人と再会しました。
彼らは2週間ほどトルクメニスタン大使館と格闘した挙句、結局ビザを手に入れる事ができず、飛行機を利用せざるを得なくなったんだそうな。
ご苦労様でした。
ちなみにどちらもバックパッカー歴は長いそうで、今回の旅だけに限って言えば、右のスズキ君は4ヶ月目、真ん中のダイスケ君は1年と1ヶ月目だそうです。
スズキ君はもうじき帰国ですが、ダイスケ君はあと2年以上は旅が続ける予定なんだそうな。
彼らとはこの後ルートが同じなので、しばらく一緒に行動することになります。

心配していたチェック・インも無事終了。
というのも、ウズベキスタン航空で無料で預けられる荷物は最大20kg、それ以上だと有料となってしまうのですが、測ってみたところボクのバックパックは19.5kg
ぎりぎりセーフ。
ちなみにKAOのバックパックは16kgくらい。
…ふたりともなぜか軽くなっている。
買い足したものはあるけど捨てたものはほとんどないのに…なぜ?
ちなみに小さなリュックはボクのが7kgくらい、KAOのは5kgぐらいだったので、今現在だとボクが27kgくらい、KAOが21kgくらいの荷物を常時持ち歩いていることになります。

出国時には別室に連れて行かれて、手荷物検査と同時に持っている外貨を調べられました。
難癖をつけられて取り上げられたり、わからないように抜かれたりすることもあるという噂を聞いていたので警戒していたのですが、特に何事もありませんでした。
無事出国審査も終え、あとは待つだけです。

待ち時間でトイレに行ったところ…


壁に付いているクリーム色の四角いものが見えると思いますが、これ、水を流すボタンです。
でかっ。
あまりのでかさに、最初はそれだと気付きませんでした。
水を流すボタンとしては生まれてから見た中で、間違いなく一番でかいものだと思われます。

ウズベキスタン航空の旅客機はちょっと変わっています。
例えば…


空港も本当は撮影禁止で隠し撮りしたので写真がぶれちゃってますが、飛行機の羽根が水平方向に対して少し下向きに付いているのがわかりますかね。へにゃって感じで。
飛行機とかに詳しい方ではないですが、あんまりこういう形の飛行機は見たことない気がする。


エンジンの1つが本体の上に乗っかっちゃってますが、これも珍しいんじゃなかろうか。

しかーし。
ウズベキスタン航空の飛行機の変わったところはこんなもんじゃありませんでした。
搭乗手続きが始まったので、機内に移動したところ…
何じゃー、この暑さはー!蒸し風呂じゃねーか!
なんとエアコンがまったく効いていない状態でした。
いまだかつてこんなに暑い飛行機に乗ったことはありません。というか、エアコンの効かない飛行機が存在するとは…。仮にも国際線なのに…。
しかも。
なぜだかいつまでたっても離陸しないし
そりゃあもう乗客全員が汗だくになりながら、機内パンフレットやら何やらで扇いでいるという状態が、かれこれ1時間ほど続きました。
そしておもむろに機内アナウンスが…ウズベク語(もしくはロシア語)だけだし(国際線なのに英語アナウンスなし)。
何を言っているのかはさっぱりわかりませんでしたが…


まぁ、この状態見れば、とりあえず降りろって言われていることくらいはわかりました。
おそらく乗客の全員が、とりあえずこの暑さから逃れられるなら、遅れても何でもいいから降ろしてくれ、ってところだったと思いますが。

しかし相変わらず何の説明もないので、なぜ遅れているのかはよくわからず。
周りの人に聞いてみたところ、どうやら空港がクローズだから飛べるまで待たされるらしいとのこと。
空港がクローズの意味がわかりませんでしたが、待合室で30分ほど待っていると再搭乗のアナウンスが。
搭乗口に向かうと…また手荷物チェックやら身体検査やらしてるし。
さっき散々やったのに…。なんと効率の悪い。

そして機内へ入ると…やはり激アツ
ただし今回はすぐに離陸し、徐々に機内の温度も下がり始めました。
まぁ、これはエアコンが効き始めたわけではなくて、外気温の低下に伴って涼しくなったんだと思いますが。


まぁ、意外と機内食がボリュームあったんで良しとしますか。←単純

着陸も近くなった頃に外を見ると…


これはもしや…カスピ海!
「海」って言っちゃってますが、世界最大の湖です。まぁ、確かに海並みにでかい。


結局1時間半遅れで18時頃、アゼルバイジャンビナ国際空港に到着。
現在アゼルバイジャンへの入国に際し日本人はビザが必要ですが、バクーの空港で取得することができます。
写真を2枚だけ用意しておけば、30日間有効のツーリストビザがなんと無料(以前は40USDだったそうな)。すばらしい。

というわけで南カフカスの一つ、アゼルバイジャンに入国!
ボクらにとって18ヶ国目となりました。
現在夏時間中で、日本との時差は4時間(ウズベキスタンと一緒)。

ちなみに南カフカスとはコーカサスとも呼ばれ、アゼルバイジャングルジアアルメニアのことを指します。
かつてソビエト連邦の一部であった中央アジア(カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン)や南カフカスの国々は、政治的にも宗教的にもなかなか複雑な歴史があるので、興味のある方は調べてみるのもおもしろいかもしれません。

まぁ、とにかくアゼルバイジャンの首都バクーへやって来ました。
次回は驚くほどヨーロピアンな街並みで物価の高いバクーについて紹介しましょう。

[PON]

ブハラな毎日。

  • 2010/07/12(月) 01:23:08

<現在、グルジア・トビリシにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年7月1日〜6日の日記*


感動冷めやらぬところですが、日記を進めなくては。
ブハラでの話の続きです。

というわけで「寛平ちゃん待ち」状態だった我々は2、3日で観光を終えてしまった後、これといってすることのない日々を送っていました。
そんなブハラでの毎日をつれづれと。
最後にはブハラで食べたものを紹介しましょう。


1個だけ見忘れていたチャール・ミナール
住宅街の中にぽつねんとあります。
珍しい形のモスクだと思ったら、巨大なメドレセ(神学校)の門の部分なんだそうな。メドレセそのものはもう残っていないそうです。


新市街の方にあるグランド・ブハラ・ホテルです。
これがどうしたかといいますと…ブハラで寛平ちゃんが泊まっていたホテルがこれだったんです。
路上で寛平ちゃんを見つけられなかった場合、ホテル前で出待ちでもしようかと下見に来た時に撮った写真。
この下見が徒労に終わってよかったー。


とある日は石鹸やらシャンプーやらを仕入れにクリティ・バザールへ。
宿から歩いて20分くらいのところにあります。


右の長いのも左の丸いのも、両方ナスです。
宿の料理ではどうやら丸い方を使っていたようですが、味は普通のナスでした。
いや、細かく言えば違いはあるのかもしれませんが、味オンチのボクには同じ様に感じたということです。


果物が美味しそうだなーということで…


プラムをお買い上げ。
1皿(20個くらい)で1000UZS(約50円)でした。
美味し。

ちなみにバザールにはKAOのシャンプーとコンディショナーを探しに来たのですが、いっくら探してもコンディショナーは見つけられませんでした。リンスインシャンプーみたいなものはあるのですが、単体のものはどこにもない。他の街でもコンディショナーだけは見つからず。
この国の人はコンディショナー使わないの?
ついでに言うと、トルコ東部〜イラン〜ウズベキスタンと移動する間、ずーっと洗顔料を探しているのですが売ってません。もしかしたら専門店みたいなところではあるのかもしれませんが、少なくとも普通の商店やスーパーでは見つかりませんでした。
みんな石鹸で洗ってるんですかね。

バザールの帰り道、ふと道ばたの木を見上げると…


なんだこれ。
巨大なえんどう豆?

お!マクドナルド発見!と思って近づいてみると…


「M Lunch」でした。
ボクらの行った街ではマクドナルドは見つけられませんでした。
ウズベキスタンの街角でよく見かけるジュース屋さんです。
逆三角形のフラスコみたいなものに入っているのはたぶん濃縮シロップのようなもので、これを炭酸水で割ってくれます。
実際飲んだことはないのですが、たぶん1杯10円くらいだと思います。


髪が伸びてきたので、とある日は散髪をしました。
ボクはだいたい1ヶ月に1回くらいの割合で散髪しています。
宿の片隅のスペースを提供してもらいました。


では始めます。
右手に持っているのは愛用のマイバリカン。


がぁーっと刈る。


途中経過。
で、残り半分もがぁーっと刈ると…


はい、すっきり。
所要10〜15分くらいです。
以上、散髪 in ウズベキスタンでした。
ちなみに散髪直後から、なぜか宿のお父ちゃんにえらいからまれるようになりました。坊主頭がお気に入りの様子です。


寛平ちゃんに会える予定が立ったあたりで、そろそろ出国用の航空チケットを手に入れることにしました。
ボクらは元々ウズベキスタンからはトルコへ空路移動する予定でした。ウズベキスタンにはどうしても来たいと思っていたものの、周辺の他の国々にはあまり興味が無かったからです。
しかしせっかくこの辺りまでやって来たのに、他の国を全部すっ飛ばしちゃうのはもったいないかなー、なかなか来られる所でもないしなーという話になり、南カフカス(コーカサス)と呼ばれる地域に立ち寄ってからトルコへ行くことにしました。
ウズベキスタンから南カフカスへと移動する王道ルートはカスピ海を船で渡ってアゼルバイジャンへと行くルートなのですが、そのためにはトルクメニスタンを通らねばなりません。
…そうです。ボクらがイランでビザ取りに失敗した、あのトルクメニスタンです。
ウズベキスタンでトルクメニスタンビザを取得するのは、そりゃあもうめんどくさいことで有名なんです(今まで聞いた話だと、世界で一番面倒なんじゃなかろうか)。
朝4時から並んだのに大使館にすら入れなかったとか、賄賂渡したのにダメだったとか、10回も通った挙句にビザが取れなかったなんて話はザラです。
ボクらは一度イランで失敗しているので、もうビザ取りのために労力と金と時間を費やす気にはなれませんでした。
というわけで、ウズベキスタンのタシュケントからアゼルバイジャンのバクーへ飛ぶことにしたわけです。

以前にも書きましたが、数多くの路線を持っている航空会社としては珍しく、ウズベキスタン航空はネットでチケットを買うことができません。
それどころかホームページがどうやっても途中から全部ロシア語(キリル文字)になってしまうので、いつ飛んでるのかとかさっぱりわかりません。
というわけで、旅行代理店へ(クリティ・バザールの周りに何件もある)。
7月8日の便を探していたのですが、最初に行ったところではビジネスクラスしか空いていないと言われてしまいました。
ところがダメもとで別の代理店に行ってみたところ、席は空いているとのこと。
どういうこっちゃ。
まぁ、チケットが取れるならなんでもいいやということでお願いすることにしました。
7月8日のタシュケント13:25発アゼルバイジャン・バクー行きで470750UZS(約23500円)。
2人分で941500UZSということは…


こういうことです。
以前にも書いたように、ウズベキスタンの最高額紙幣は1000UZS札。
450USDを両替して1000UZS札972枚になりました(1USD=2160UZS)。
怖すぎです。
すぐ近くのバザールにたむろしている闇両替のおっちゃんにお願いしたのですが、金額がでかいので喜んで食いついてきました。
当然周りでこの両替の様子を見ている人もいたので、ボクらはろくに枚数の確認もせずに、というか枚数が多すぎて確認する気にもならなかったので、逃げるようにその場を立ち去って旅行代理店へと駆け込みました。
襲われたらシャレにならん。


ウズベキスタンのちょっとした店にはこういった紙幣をカウントする機械があります(もちろんおっさんの方じゃなくて、画面の下に見切れている機械)。
って、そりゃそうだよなー。
900枚とかいちいち数えてらんないし。
機械で数えたところ、ちゃんとありました。

ついでに別の代理店で7月7日のタシュケント行きの列車のチケットも手配…しようと思ったら、こちらも満席とのこと。
列車の方は他の代理店で聞いてみても満席だったのですが、駅に直接行けば買うことができるらしいというよくわからないシステム。
オンラインで販売する分と駅で販売する分とを分けているってことなんでしょうかね。
マルシュルートカ(バンの乗り合いタクシー)に乗ってブハラの街の中心部からで20分くらいのところにある駅まで行き、無事列車のチケットを手に入れる事ができました。
7月7日のブハラ19:25発タシュケント行きの開放寝台(一番安い寝台)で26000UZS(約1300円)でした。

ちなみに英語はまったく通じず。
ウズベキスタンの駅で英語が通じないという話はよく聞くので、チケットを買いに行く時はあらかじめロシア語か何かで紙に書いていった方が無難だと思います(←ボクらはそうした)。

さぁ、これで移動の準備は完了。
ちなみに今まで散々バスで移動してきたのに何ゆえ今回だけ列車移動にしたかというと…
とにかくもうバスが暑すぎるからですな。
今までで一番長い距離を移動するに当たり、あの暑さは無理!という結論に達しました。加えて、寝台なら体を横にできますからね。
少しくらい高くても、今回は楽をしようということになったわけです。


さて、最後はボクらの泊まっていた宿Saraffonで食べた美味しい晩ご飯の数々を紹介しましょう。とは言っても、他の街の時に紹介したメニューもあるので、ざざっと写真だけ。
初日に食べた晩ご飯が非常に美味しかったので、結局毎日朝晩の食事を宿で作ってもらいました。ちなみに朝ご飯は宿代に含まれており、晩ご飯は1人3USD(約270円でした。
以前にも登場したウズベキスタンの定番料理プロフ。炊き込みご飯のようなものです。
ここのプロフも美味かったー。
左の方にメロンが写っていますが、かなり甘くて美味いです。
日本のとはちょっと種類が違うようでした。


これはラグマンの一種になるのかな?
麺が非常に細いので、別の料理になるのかもしれません。


羊肉と野菜の煮込み
個人的にはくたくたのキャベツが激うまでした。


さっきの写真の奥に写っていたもの。
これは…何でしょ。
カブのブドウ漬けのようなものなんだけど、カブでもなければブドウでもない気がする。
ちょっと甘い。


ハンバーグっぽい何かですかね。
柔らかくてめっちゃ美味い。


ピーマンの肉詰めです。米も入ってました。
これもウズベキスタンの定番料理の一つらしいです。
美味し。


付け合せによく出てきた2皿。
左はキャベツとキュウリとチーズのサラダ、右は丸いナスとピーマンの香草炒めです。
東南アジアでよく出会うような結構香りの強い香草なので嫌いな人は嫌いかもしれませんが、ボクは美味くてはまりました。


とある日の晩には宿のお父ちゃんが1杯ずつビールをご馳走してくれました。
お父ちゃん、ありがとう!


とある日はタエさんと3人でずーっと中庭でしゃべっていたら、昼ご飯をご馳走してくれました。
中央アジアでよく食べられるマントゥというものです。小麦粉で作った固めの皮で羊肉とタマネギ、スパイスなどの具を包み、蒸し釜で蒸した料理。
肉汁たっぷりで美味い。
ヨーグルトをかけて食べることを勧められたのですが…個人的にはない方が美味いかな。
お父ちゃんが「酒飲むか?」と言ってきたのでお願いすると…出てきたのはウォッカ
いやー、さすがにウォッカはきつかったっす。


お母ちゃんがこの宿のメインシェフです。
お母ちゃん、毎日毎日美味しい料理をありがとう!


一緒に寛平ちゃんに会いに行ったタエさんとは2、3日の付き合いでしたが、ひっじょーにおもしろい話をたくさん聞くことができました。
日本でやっていた仕事の話も新鮮だったし、インドに6ヶ月もいたという強者だったので旅の話も盛りだくさんでした。
これから西アフリカへ向かうとのこと。
気をつけろよー。
またどこかで会いましょう。

[PON]

ついに…

  • 2010/07/09(金) 16:13:45

<現在、アゼルバイジャン・バクーにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年7月6日の日記*


さてさてさてさて。
運命の7月6日がやってきました。

前日アブドゥルさんが確認してくれたところによると、午前中のランは5時頃から10時頃になりそうということだったので、我々3人(ボクとKAOと前日この企画に巻き込まれたタエさん)は朝7時頃宿を出ることにしました。
アブドゥルさんの手配してくれたタクシーに乗り込み、ブハラからトルクメニスタン国境方面へ向かう幹線道路を南西の方へ向かいます。
宿を出た辺りではかなりテンションが上がってきていたのですが、車が進むにつれて徐々に緊張感の方が勝っていきました。
初めはしゃべっていた我々ですが、次第に全員無口に。
ひたすら前方へ目を凝らします。

…あれかな?
…ただのおばちゃんだし。
…あれかな?
…バス待ちの人だし。
…あれかな?
…ロバだし。

そんなことを繰り返しながらタクシーを走らせること40分、対向車線側の路肩に一台のワゴン車を発見。
減速してもらってよぉく見ると…『EARTH MARATHON』のロゴが。

これだーーー!

タクシーを止めてもらって、近づいてみました。


うぁー、間違いねぇ。
スタッフ用の伴走車だ。


車の中にいるのが寛平ちゃんと行動を共にして公式ブログの記事をアップし続けているぶーやんさん。
右の白いTシャツを着ているのが現地ガイドさん(この人がアブドゥルさんの友人)、その隣が(たぶん)ドライバーさんです。

寛平ちゃんはもうじきここへやって来るということだったので、待つことにしました。


…お?あれか?
それっぽい人影が見えたので、我慢しきれず近づいていくことにしました。


あの派手な格好(←ピンクのTシャツに緑のスパッツって)で走って来るのはもしや…
(っていうか、おばちゃん邪魔!どけて!)


寛平ちゃんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!
汗びっしょりだぁぁぁぁぁぁぁぁ!
握手してくれたぁぁぁぁぁぁぁぁ!
感動だぁぁぁぁぁぁぁぁ!
寛平ちゃんがスタートしてから567日目、そしてボクらがスタートしてから307日目、密かに願い続けていた夢がついに実現!
体はちっちゃいけど、おっきな手が印象的


ほんの数百mですが、一緒に走ることができました
感動し過ぎで、テンション上がりまくり。
押さえ切れん。
それより、何でサンダル履いてきちゃったんだ…。←朝はうわの空でそこまで気が回らず

寛「ところで、何でこんなところにおるの?」
P「今、貧乏旅行で世界一周中なんです。で、ちょうどウズベキスタンに…」←しどろもどろで説明
寛「おぉ、貧乏旅行か。それなら貰い物でよかったら、いい物あげるよ。」

スタッフ車まで辿り着くと、寛平ちゃんは車に乗り込んで何やらごそごそと。
あぁ、疲れているはずなのに…すいません。
で、出てきたものは…


寛「スポンサーの大塚製薬さんからもろたカロリーメイト。それからソイジョイとレトルトのご飯と…。大塚製薬さんにお礼言いや。」
あぁ、寛平ちゃんの応援に来たのに、逆に救援物資もらっちゃってるし…。完全なる本末転倒。
寛平ちゃん、ぶーやんさんをはじめスタッフのみなさん、そして大塚製薬をはじめスポンサーのみなさん、ありがとうございます!


ちょっと落ち着いたところで、いろいろと話をすることができました。
どうやらラン再開後では、応援に駆けつけた日本人はボクらが最初だったようです。
ちょっとうれしい。


っていうか、何で寛平ちゃんがカメラ回してんの?


記念撮影!
うれしすぎるー。
この写真は一生もんだなー。
それにしても、タエさん…黒いなぁ。←自黒+インド焼けらしい

この後、応援に駆けつけた日本人恒例の「あ〜め〜ま〜」も叫んできました。
ちなみに1回目は声が小さいとダメ出しされ、2回目でOKが出ました。
意外と厳しい。


会見時間約10分。
「日本帰ったらまた会おうな。」という言葉を残して、寛平ちゃんはまた走り始めました。
ピンクに「前進」の文字が目にしみます。
背中が素敵だ…。
ひとりで地球を駆け抜ける寛平ちゃん、かっこいいぜ!

しばし呆然と寛平ちゃんの後ろ姿を見送った後、タクシーの運転手とも喜びを分かち合い、一路ブハラの街へ。


追い抜きざまにもう一枚。
日本目指してがんばれー!
…それにしても、ピンクのTシャツに緑のスパッツって。←しつこい
ちなみにスパッツをはいている人はこの辺りではひっじょーに珍しいらしく、現地の人にえらいつっこまれるそうです。


宿に戻って事の次第をアブドゥルさんに報告すると、彼も我がことのように喜んでくれました。
彼がいなければこんなに上手く事が運ばなかったことは間違いありません。
アブドゥルさん、本当にありがとう!


ちなみにこれが寛平ちゃんから頂いた救援物資の数々。
3人分ですが、こんなにもらっちゃいました。
特にうれしいのはご飯!
しそわかめって!
本当にありがとうございました。大切に食べさせてもらいます。


で、我々はと言うと…抜け殻と化してしまいました
しばらくはあえた感動でテンションが上がったままだったのですが、徐々に落ち着いてくると達成感と言うか、大きなことをやり遂げてしまった感で、何もやる気が出ず。
まぁ、正確にはもうブハラの街でやることもなかったので、結局この日は3人して宿の中庭でだらだらとしゃべって過ごしてしまいました。
俗に言う「燃え尽き症候群」ってやつですかね。
特にKAOが顕著でした。
どれくらい燃え尽きてしまったかというと…
うれしさのあまり胃液を吐いた挙句、晩飯を食いっぱぐれてました。
燃え尽き過ぎだろ。

とにもかくにも、日本にいる時から「こんなすっごい挑戦をしている寛平ちゃんに会って応援したい!」と密かに思い続け、ついにウズベキスタンで夢が叶いました。
本当にうれしかった。
旅に出てから、間違いなく一番うれしいことでした。
すっごい幸せな10分間だったぁ…。
一番印象に残ったのは、ひとりで走り去っていく時の寛平ちゃんの後ろ姿です。
かっこよかったぁ。

今までやって来た道のりを考えれば、あと4分の1くらい。

寛平ちゃん、かんばれー!


〜追記〜
この一連の出来事が寛平ちゃんの公式ブログにまんまと載ってしまいました。
7月6日(567日目)のこの記事です(コメント、結構おもしろい。みんな「貧乏」という言葉に食いつき過ぎな気がする…)。
しかも動画まで(リンク先のページの一番上に貼り付けてある動画がそれだと思います。回線が遅くて、いまだ見られず…)。
気が向いた方は、これを機に寛平ちゃんの公式ブログの方もたまにのぞいてみて下さい(応援バナーを貼り付けてみました)。
ほぼリアルタイムで寛平ちゃんの情報がわかります。

ボクらの、そしてみんなの想いが寛平ちゃんに届きますように…。

[PON]

寛平ちゃんに会いたい!

  • 2010/07/05(月) 20:48:16

<現在、ウズベキスタン・ブハラにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月18日〜7月5日の日記*

お気づきの方も多いとは思いますが、ボクらはウズベキスタンに入ってからえらいのんびりとしていました。
なぜか。
一度は諦めたアレを実現させるためです。
アレとは…

世界一周中の寛平ちゃんに会って、応援すること!

ずいぶん前の日記にも一度書きましたが、アースマラソンと称して地球を走り続けている間寛平さんを密かに応援し続けていた我々は、どこかで彼に直接会って応援したいと思っていました。
しかし4月半ばにガンの発覚アースマラソンの一時中断を知り、このままではすれ違いは避けられないものと思っていました。
ところが。
イラン出国直前にアースマラソンの再開を知り、しかも寛平ちゃんの1日の走行距離やルート、自分たちのビザ期限などから考え合わせたところ…

ウズベキスタンで寛平ちゃんに会えるかもしれない!

…ということに気付いてしまったわけです。
ネパールやトルコで思いのほかのんびりしたり、イランでビザ取りに手間取ったりしたことが、功を奏したわけですな。
もっとちゃきちゃき移動していたり、ビザ取りに手間取ったりしていなければ、アースマラソン再開前にこの辺りを通り過ぎていたかもしれないわけです。

我々のだらだらも無駄ではなかった!
ビバ、のんびり!


というわけで、まずはサマルカンド滞在中に情報を集めて、どこら辺で会える可能性があるかを検討し始めました。

寛平ちゃんの公式ブログを見ていると、再開後は1日40kmくらいのペースで走っているっぽい。
再開した場所がイランからトルクメニスタンに入ってすぐくらいのところなので、そこから真っ直ぐウズベキスタンへ向かってくる最短ルートを通るとすると、大雑把に1〜2週間くらいで国境まで来ることができる。
ただ病み上がりだし、休養日もあるだろうし、しかも(公式ブログを見ている人は知っているかもしれませんが)寛平ちゃんが走るのはカラクム砂漠のど真ん中。この砂漠は世界で最も高い気温(70度くらい?)を記録したことがあるとかないとか(←旅人に聞いた話なのでウソかも)。
順調に進まない可能性も考慮して、大まかに再開時から2週間、遅くとも3週間程度でウズベキスタンにやって来るであろうと予想を立てました。

寛平ちゃんのラン再開が6月17日で、ボクらがウズベキスタンに入国したのは翌18日。一方、ボクらのウズベキスタンビザが切れるのは7月14日。
…にやり。
これはいける。

さて、どこで寛平ちゃんに会うか。
仮に彼が3週間かかってウズベキスタンに辿り着くとなると、そろそろボクらのビザリミットが近づいてくる頃になるので、宿などの関係からできれば彼が入国後最初に訪れるであろう大きな街辺りで待ち受けたいところ。
そうなると…そう、(今我々がいる)ブハラが最適であるという結論に達しました。


具体的にどうやって寛平ちゃんを見つけるという問題はとりあえずおいといて(←実はかなり重要)、あとはブログで寛平ちゃんの現在地を確認しながらひたすら待ち、タイミングを合わせてブハラへ移動するだけです。
ボクらがウズベキスタンで見たいと思っていたところは東から順にサマルカンド、ブハラ、ヒヴァの3都市だけ。
しかし我々に与えられた時間は3週間。

…どう考えても、余りまくりです。

2、3日ですっかり観光を終えたサマルカンドに9泊もしたのは、どうせ長居するなら安くて、居心地が良くて、飯も抜群に美味いこの宿で長居しようということになったからに他なりません(あと、移動した先の宿にテレビがなかったらW杯が見られなくて困る、というのも理由の一つ)。
ちなみにこの長居のおかげでサマルカンドでは宿代を値引きしてもらえたのでした。拙い英語で
「日本ですっごい有名な寛平ちゃんというコメディアンが走って世界一周をしていて、そんでもうじきウズベキスタンにやって来るんだ。どうしても彼に会ってエールを送りたいんだけど、まだだいぶかかりそうなんだ。そんな(素敵な)理由で長居したいんだけど…宿代、負けてもらえませんですか?」
と伝えたところ、
「OK!そんな(素敵な)理由なら値引きしてあげるよ。1ヶ月でも2ヶ月でも、好きなだけ泊まるといいよ!」(←いや、ビザ切れるから)
Bahodir B&B(←サマルカンドの宿)のお父ちゃんは快く値引き交渉に応じてくれたのでした。
お父ちゃん、そして寛平ちゃん、ありがとう。助かりました。
というわけで、サマルカンド滞在の後半はネットに屋に通っては「寛平ちゃん、まだかなー。」という日々を送っていました。

そしてこのまま順調なら1週間から10日くらいで国境を越えかなーとなったあたりで、移動開始。
一旦ブハラの街をすっ飛ばして、ヒヴァへ。
ヒヴァでは3泊だけして、決戦の地ブハラへ戻ってきたというわけです。


さて。
ブハラの宿Sarrafonでも長居することがわかっていたので、今回も値引き交渉のためアブドゥルさんに寛平ちゃんの話をし始めた時のことです。
「日本ですっごい有名なコメディアンが走って世界一周をしていて、そんでもうじきウズベキスタンにやって来るんだけど…」
「それってコンペーさんのことですか?」←それは笑点
「え?知ってるの?」
話を聞いたところ、どうやら彼の友人がブハラ周辺における寛平ちゃんの一切のマネージメントのようなこと(宿の手配とか)をやっており、しかもアブドゥルさん自身もここからここまでが何kmだとか、この日はこの辺りまで走れば目標の距離を稼げるだろうとか、そういった細かい下調べの手伝いをしているとのこと。

何たる偶然!

他にも何日に国境を越えてこの日はだいたいここまで走るとか、ブハラで泊まるホテルはここだとか、そんなことまで教えてもらうことができました。
さらに…
「コンペーさんに会えるように話をしてあげるよ。」←それは笑点

…マジですかー!

話がぐっと現実味を帯びてきました。
いやぁ、この宿に泊まってよかったー。


うきうきしながら毎日ネット屋に通い、待つこと数日。
まずは7月4日に国境を越えるとの情報が入りました。
あと少し!

そして7月4日。
昼頃、アブドゥルさんに手招きされたので近づいてみると、彼の持っていたデジカメには…

寛平ちゃんだー!

この日の朝、友人とともに国境まで出向き、やって来た寛平ちゃんを出迎え、今後の予定についての打ち合わせをしてきたとのことでした。

うぉー、すげー!

しかも寛平ちゃんは今、午前中のランを終えて、このブハラの街のホテルで休憩中とのこと。
国境からここブハラの間には大きな街はなく、よってあまりまともなホテルもないので、午前や午後のランを終えた後は車でブハラまで移動し、ホテルで休憩や睡眠を取ってから、また車で移動してランを再開する、という風にしているということでした。
ってことは…

今、この街に寛平ちゃんがいる!

そりゃあもう、テンション上がりまくりでした。
しかしここでアブドゥルさんから思わぬ提案が。
「今日の午後はランは休みで休養に当てるらしい。友人に話してあげるから、夜カンペーさん(←本人に会った後からコンペーではなくなっていた)に会えるようにセッティングしてあげるよ。」

…うーむ。
申し出はすっごいうれしいし、こんなチャンスなんてめったにないんだけど…。
できれば走っている寛平ちゃんに会って、路上で応援したい
しかもコネみたいなのを使って、プライベートな時間の寛平ちゃんに無理矢理会うのって、なんか違う気がする…。
もちろんアブドゥルさんはボクらが寛平ちゃんに会えるのをすっごい楽しみにしているのを知っているので、なんとかその夢をかなえてくれようという親切心から言ってくれていることは十分にわかるのですが…。
そういった感じで会うのはボクらの本意ではありません。
ボクらのそういった気持ちを拙い英語で必死に説明したところ、彼もわかってくれたようでした。
ありがとう、アブドゥルさん。

というわけで、改めてアブドゥルさんと一緒に作戦会議。
路上で会うためには街を飛び出して、寛平ちゃんの走っているルート上に行く必要があります。
どうするか。
寛平ちゃんは今いるブハラに向かって走っていて、走るであろう道路もわかっているので、寛平ちゃんが走っている時間帯を狙って、そっちに向かってタクシーを走らせて探すことにしました。
このものすごく暑い地方を走っている寛平ちゃんは、朝(おおむね4時から10時の間の3〜4時間)と夜(おおむね18時から22時の間の3〜4時間)の2回に分けてだいたい20kmずつ、1日に計40kmほど走っています(つまり毎日フルマラソン!)。
というわけで、もちろん狙うは(夜だとよく見えないし、写真も撮れない)。日にちはブハラにかなり近づくであろう7月6日
こんな感じの計画でいこうということになりました。

この後もアブドゥルさんは寛平ちゃんの細かい予定を確認してくれたり、知り合いのタクシー運転手にボクらがやろうとしていることを伝えてくれ、値段交渉までしてくれました(おそらく2〜3時間のチャーターで、往復で50000UZS、約2500円)。
アブドゥルさん、何から何まで本当にありがとう。


前日にここの宿へやって来た1人の日本人女性も巻き込んで、準備完了!
そして迎えた7月6日。
さてさて、無事路上で寛平ちゃんを見つけ、応援することができるのでしょうか…。

つづく。

[PON]

ブハラを歩く。

  • 2010/07/03(土) 20:32:14

<現在、ウズベキスタン・ブハラにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年7月1日の日記*


さぁ、やって来ましたブハラ
このブハラはシルクロードの中枢に位置し、主要なオアシス都市を結ぶ交易の十字路であったため、中央アジアのみならず、イスラーム世界全体の文化的中心地として2500年以上の歴史を刻んできた街です。
13世紀のチンギス・ハーンの来襲で一旦は灰燼に帰してしまったブハラの街も、16世紀のシャイバニ朝の時代になってよみがえりました。多くのモスクやメドレセが建造され、宗教的充実に多くの冨がつぎ込まれた結果、シルクロードの面影を色濃く残す現在の姿になったそうです。ちなみに旧市街における基本的な建物の配置は9世紀以降ほとんど変化していないんだとか。驚きですな。
そんな『ブハラ歴史地区』はユネスコの世界遺産に登録されており、ボクらにとっては36個目の世界遺産となりました。


というわけで、ブハラ探索に出かけることにしましょう。
この日は消化不良起こしそうなほどたくさんのものを見たので、適当にかいつまんでざざざっと紹介します。

まずはラビ・ハウズ周辺からスタート。


ハウズの東側にあるナディール・ディヴァンベギ・メドレセです。
ここの入り口のアーチの絵がまた変わってまして…


2羽の鳳凰が爪で白いシカをつかんで、顔の描かれた太陽に向かって飛んでいくところ…なんだそうです。
ガイドブックなどにもこの絵が何を意味しているのかは書いていないのですが、若干ふざけた印象(特に顔の辺り)を受けてしまうのはボクだけでしょうか。
明らかにサマルカンド・レギスタン広場のシェルドル・メドレセと同種の様式(ティムール朝建築)ですな。


この方も若干ふざけていますね。
ラビ・ハウズとメドレセの間にある公園にいらっしゃるフッジャ・ナスレッディンさんです。
イスラームの神学者で、ユーモアに富んだ授業をして学生に好かれ、今もブハラの人気者なんだそうです。


日中のラビ・ハウズはあまりの暑さのためか、ほっとんど人がいません。


ラクダにお手を強要する37歳。


ラビ・ハウズの西側に面してナディール・ディヴァンベギ・ハナカ(修道場)があります。
北側にもメドレセがあり、ラビ・ハウズはこんなイスラーム建築にぐるっと取り囲まれているのです。


地面より一段低いところにあるマゴギ・アッタリ・モスクです。
土砂で埋もれていたものを周りを掘り下げた状態のままにしてあるので、こんな風になっているのだそうな。


土台の部分が層に分かれているのがおわかりでしょうか。
ここにはクシャン朝期の仏教寺院があったのですが、それがアラブ軍によって壊され、その上にゾロアスター教の神殿が作られたのですが、これまたチンギス・ハーンによって壊され、その後にようやくこのモスクが建てられたのだそうです。この層は建築と破壊の歴史を物語っているわけですな。


観光のメイン道路はこんな風にきれいに整備されていますが…


一歩わき道へ逸れるとこんな感じ。
土色の旧市街が広がっています。ちょっとイランのヤズドの街並みを思い出します。


タキ・ザルガランです。
タキとは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールで、関所のような役割もあったんだそうです。各入り口は荷を積んだラクダが通れるよう高めにできており、周囲には大きなキャラバンサライの跡がありました。
中でもこのタキ・ザルガランが一番古く、また規模も大きいのだそうな。タキの中には商店や職人の仕事場が36もあり、それぞれが小さい丸屋根を持っているので、写真のようにひっくり返したたこ焼き器みたいになっています。
現在タキはもう数ヶ所しか残っていませんが、全盛期のブハラには40ヶ所もあったんだそうです。


とある広場にて。
かわいいですなー。


なんか怖い。


なにやら揉め事が起こっていました。子供の世界もいろいろあるようです。
それよりみなさん、剃りこみっぷりがすごいんですけど。わざと?天然?


あれ?
もしかしてあそこにちょこんといるのは…


子ネコだー!
ちっちぇー!


きゃー!
かーわーいーいー!


いやーん、かわいすぎるー。

…えぇと、取り乱しました。
観光の話に戻りましょうか。


カラーン・モスクカラーン・ミナレットです。
ここがブハラで一番美しかったように思います。
帯状の美しい装飾に加え、上の方にちょこっとだけ青タイルを使った装飾が施されているあたりがニクい。
カラーンとはタジク語で「大きい」という意味で、イスラーム信者にお祈りを呼びかける本来の役割の他に、見張りの塔でもあり、また旅人の目印として砂漠から来るキャラバンにとって大切な道しるべでもあったようです。


頭頂部の装飾も美しいですなー。
このミナレットは街中が崩壊した大地震にも耐え、壊滅を売りものにしていたチンギス・ハーンのブハラ征服時にも破壊を免れたのだそうです。


カラーン・モスクの内部に入るとこんな感じ。国内でも最大級のモスクなんだそうです。
っていうか、だーれもいないし。
ミナレットと違ってこのモスクの方は、チンギス・ハーンのブハラ征服時に宮殿と勘違いされて徹底的に破壊されてしまったんだそうです。


美しいミフラーブ(メッカの方角を示す壁面のくぼみ)。
イランのモスクにあったミフラーブと比べると、色合いが渋い。


奥の方に何かいますな。
回廊は208本の柱で天井を支え、288の丸屋根で覆われています。


カラーン・モスクの向かいにあるのがミル・アラブ・メドレセです。
ソ連時代に中央アジアで開校を認められていた数少ない神学校で、今も現役です。


格子越しにちょっとだけ中をのぞかせてもらいました。
手前にある卓球台が現役の神学校であることを物語っていますな。


絨毯や貴金属を扱うバザールを通りかかったのでのぞいてみました。
…客に比べて、店員の数が多すぎる。


どでかい城壁が見えてきました。


歴代ブハラ・ハーンの居城であったアルク城です。
ブハラの歴代ハーンは残虐な圧政の化身で、反抗した人を容赦なく虐殺したんだそうです。
例えば先ほどのカラーン・ミナレットも死刑場として使われ、袋に詰めた死刑囚を上から投げ落としたので、「死の塔」とも呼ばれて恐れられたとか。
ちなみにこのアルク城はほっとくとガイドを勝手に付けられてしまうので、チケットを買うときに「ガイドはいらん!」というと半額くらいで入れます(4000UZS、約200円+カメラ代2300UZS、約115円)。
アルク城内部は博物館のようになっていましたが、正直あんまり面白くありませんでした。


アルク城と広場をはさんで建てられた、ブハラ・ハーン専用のバラハウズ・モスクです。
このようなテラス状の建築様式をアイヴァンというのですが、ブハラでは数少ないアイヴァンを見ることができるモスクです。


これはウルグベク・メドレセの展示室にあったものなのですが、上の段がのように見えるのがおわかりいただけるでしょうか。
たぶん先ほどの写真でアイヴァンの天井を支えている柱の付け根に当たる部分だと思われます。
偶像崇拝を禁止しているイスラーム教において顔の彫刻などはもちろん許されないのですが、何らかの理由(信仰なのか遊び心なのか)で密かに彫られたものなんでしょうね。


アイヴァンの天井部分の装飾。
こういった色合い、結構好きです。


イスマイール・サーマーニ廟です。
10世紀の初めに造られた、中央アジアに現存する最古のイスラーム建築だそうです。
モンゴル来襲時に街が破壊された時にも、ほとんどが土中に埋もれており、周りが墓地だったために気付かれなかったのだとか。
詳しくはわかりませんが、当時としては非常に高度な建築様式らしく、世界中の考古学者や建築家から注目を浴びているんだそうな。
確かに色は付いていないのに、バランスだとか模様だとかが非常に美しい。これらの模様は日干しレンガを様々に組み合わせることによって作られています。


チャシュマ・アイヨブです。
建て増しに建て増しを重ねた結果、丸だとか四角だとか三角だとか、積み木のような建物になったんだそうな。


…といったように、3時間ほど歩いただけで見どころ満載です。これでも数ヶ所割愛しました。
ざっとですが、この日訪れたブハラの見どころの紹介おしまい。
いやぁ、くどいようですが暑いです。
早朝や夕方以降ならちっとはましになるのですが、それだと建物には入れないし。
ウズベキスタンの夏の観光は大変です。

そういえば。


途中で見かけた遊園地。
どうやらここにはニセミッキーがいるらしいのですが、なかなか会うのは難しいらしいです。
なぜか。
かぶりものをしている人が暑さに耐えられず、すぐに脱いでしまうからなんだそうな。
なるほど。

[PON]