1日のうちに遺跡観光と国境越えをするとどうなるか。

  • 2011/01/13(木) 09:18:21

<現在、アルゼンチン・エル・カラファテにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年9月15日の日記*


もう4ヶ月も前の日記…。


さて。
この日は実にハードなスケジュールになった。
ダマスカスから南下してボスラ遺跡を見学し、そのままさらに南下して国境を越え、ヨルダンへと入国するのである。

今日もいつもの4人で行動開始。
ダマスカスのガラージュ・ソーマリーエからボスラへダイレクトバスがあり、所要2時間ほどでボスラに到着。
ボクらは大きな荷物を持っていたのだが、遺跡の入り口の近くにあるレストランで水か何かを買えば、預かってもらうことができた。


入場料は…忘れちゃった。
学割で10SP(約20円)だったかな。

紀元前1世紀からペトラを首都とするナバタイ王国の北の拠点として成長したボスラは、その後ローマ統治下でも繁栄したそうな。
このボスラ遺跡、ユネスコの世界遺産に登録されている。
ボクらにとって55個目の世界遺産となった。


入り口にあったモザイクタイル。


ボスラ遺跡といえばこれ。
世界で最も完全な姿で残る巨大なローマ劇場である。
確かにこれほど保存状態の良い円形劇場は見たことないかな。


舞台を正面から見たところ。
すごいなー。
でかいなー。


劇場の外に出ると、ローマ時代の遺跡が広がっている。
真ん中辺りに見えるのは、片方が家と一体化しているカリベという不思議な門。


探検探検。


列柱の続く通りを歩く。


これは…何だったかな。
神殿かカテドラルの跡…のような気がしないでもない。
あぁ、曖昧。


ローマ浴場の跡。
このくぼみはどう使うのだろう。


とりあえずシンジくんを入れてみたものの、よくわからず。

このボスラ遺跡、ローマ劇場は本当にすごかったんだけど、それ以外の部分は実際住んでいる人なんかもいて、普通の生活と一体化しているあたりがちょっと残念な感じだった。
っていうか、世界遺産内に住んでてもいいのか?


遺跡で遊ぶ子どもたち。


家族で遺跡見学。
この写真、KAOが撮ったものである。
イスラムの国々では、男性が女性の写真を撮ろうとすると、ほとんどの場合断られてしまう
ボクでは撮り得なかった写真だな。


シリア人にナンパされてるところ?


さぁて、シリアからヨルダンへ向かいますか。
って、大変だったんだ、これが。

荷物を預けておいたレストランのおっちゃんが営業してきて、タクシー1台800SP(約1600円)で国境まで行ってくれるとのこと。
本来はダラアという街までバスで移動して、そこから国境越えのセルビスタクシーに乗るのが一般的なのだが、言い値が思ったよりは安かったし、予定より遅くなってしまっていたので、できるだけ楽に移動したいなーと思って、ボクらはタクシーをチャーターすることにした。
…が。
そうは問屋が卸さない。
遺跡歩きで疲れ果てて爆睡しているうちに着いたのは、シリア〜ヨルダン国境の手前側
え?
このタクシーで国境は越えてくれないの?
交渉してみても、乗ってきたタクシーはここまでとのこと。
で、困っているボクらにわらわらと寄ってくる、新たな国境越えを生業とするタクシー運ちゃん軍団。
…言い値が高すぎる!!←いくらだったかは忘れたけど、とにかくとんでもない値段
どんだけ交渉しても値が下がらなかったので、泣く泣くそこら辺の車をヒッチハイクして(←と言っても当然有料、1人50SP、約100円)、結局当初行く予定だったダラアの街まで戻る羽目になった。
本来ボスラ遺跡からダラアまでバスで1人あたり25SP(約50円)のところを、10倍の250SP(約500円)もかけて、しかもめっちゃ時間かかって(本当は30分くらい)辿り着いたことになる。
むむむむむ。


ダラアのガラージュ・シャームでヨルダン行きのセルビスタクシーの値段を聞いたところ、正規料金の1台800SP(1600円)。
最初っから、ちゃんとこっちに来ればよかったー!
と言っても、あとの祭りだな。

さて、国境越え。
まずはシリア側のイミグレ。
ボクらはレバノンからシリアへ再入国した際、3日間有効のトランジットビザしか取得していない。
なぜか。
理由は簡単。
安いから。
2週間有効のツーリストビザが24USDなのに対し、3日間有効のトランジットビザは8USD。
そりゃ安い方がいい。
しかもなぜかその3日間を超えて滞在しても、(少なくとも日本人は)何のお咎めもないという噂。
これにチャレンジしない手はないということになったのわけなのだが、最近は超過料金を取られるとの噂もちらほら。
さて、どうなる…。

無事通過!

どういうことなのかさっぱりわからないが、とにかく問題なくシリアを出国することができた(出国税500SP(約1000円)はちゃんと支払った)。
よかったよかった。
ヨルダンへの入国もスムーズに完了。
ヨルダンは国境で1ヶ月滞在可能のツーリストビザが無料で取得できた。


というわけで、無事ヨルダン入国!
ボクらにとって28ヶ国目となった。
正式名称はヨルダン・ハシミテ王国。
日本との時差は6時間(サマータイム中)。
通貨単位はヨルダンディナール(JD)で、1JDは…120円くらいだったかな。
ヨルダンも中東の国の一つとして危なっかしいイメージを抱きがちだが、実際は政治的にも安定しており、特にイスラエルとの和平協定の後は、中東を代表する観光大国への道を歩んでいるようだ。
ただしパレスチナ難民も多く、反イスラエル、反米意識も根強く残っているそうな。


ダラアの街から乗ってきたタクシーは、ラムサという街に無事到着。
ここで大事件が!
乗ってきたタクシーにトキちゃんが忘れ物をしたらしい!
大量のお菓子を(笑)。
エネルギーが切れる(=おなかが空く)とてき面に動けなくなるトキちゃんにとっては、重大な事件だったらしい。
ひとりでテンション、ダダ下がりでした。
ま、数十円くらいのものだったのですが(笑)。

しかーし。
それを上回る出来事が。
ラムサから首都アンマンへのバスはもうないらしい(本当かどうかは微妙)。
じゃあ、タクシーで…
またもや言い値が高すぎる!


30分以上かけて値段交渉、っていうかほとんどケンカ。


協力的な現地の人(←腹がドラえもんみてぇだな)登場!
…するも、さほど状況変わらず。
結局…いくらだっけな、みんなでヒートアップしてたんで忘れちまったぃ。
まぁ、とにかく今からアンマンへ帰るところらしい兄ちゃんに乗せてもらう形(それでもかなり高かった)で、なんとかアンマンへ行ける…
と思いきや。


今からタイヤ直すんかいっ!
今からガソリン入れるんかいっ!

結局、目的の宿Mansur Hotelに辿り着いたのは20時を回っていました(道がわからなくてぐるぐる街を回ってくれた兄ちゃん、ありがとう)。
いやぁ、つっかれたー。


本日の教訓:観光と国境越えは別々の日にしよう。

[PON]

爆撃された街。

  • 2011/01/06(木) 10:37:18

<現在、アルゼンチン・エル・カラファテにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年9月12日〜14日の日記*


まずは。
明けましておめでとうございます!
みなさんにとって、そしてもちろんボクらにとっても今年が素晴らしい年になりますように。
さぁ、今年もバリバリ旅を続けますよぉ。
さぁて、いつまで続くことやら。



さて。
マルムーサ修道院からシリアの首都ダマスカスへ移動しましょうか。
本来は修道院でお願いしてタクシーを呼んでもらうのですが、ボクらは何とかなるでしょーといって下りてきたらあんまり何とかならず、ずいぶんと待ちぼうけすることになってしまいました。


ひま。
ちなみにこの時、道ばたでトキちゃん、号泣中。
読んでいるのは浅田次郎著「椿山課長の七日間」。

1時間以上待った後、他の人が呼んだであろうワゴンタクシーに便乗させてもらって、ダマスカスへ(1人150SP、約300円)。
街の中心部にある宿を何軒か回って、ダマスカスでの宿はAs-Sa'ada Hotelにすることにしました。
4人部屋で1泊1人500SP(約1000円)。
トイレとシャワーは共同で、簡単な朝食付きです。


旧市街散策へ。
すると怪しげな出店がいっぱい。


輪になったレール上に重い台車が取り付けてあり、それを勢いよく押して、レール上を何周させられるかゲーム、のようなもの(←伝わっているだろうか)。


マス目の書かれた紙の上にコインを放って、コインがのっかったマス目に書かれた金額をもらうゲーム、のようなもの(←伝わっているだろうか)。


レール上に取り付けられた台車を思いっきり押して、鐘を鳴らすことができるかゲーム、のようなもの(←伝わっているだろうか)。
このようなちょっとしたゲーム的な出店がたくさんあり、人々が群がっていました。


かき氷屋さん。


露店のDVD屋さん。
トムとジェリー、名犬ジョリー、アラビアンナイト…でしょうかね。


未来少年コナンと…ヘイジ?
銭形?


派手な鉄塔みたいなものを背負ったこの人は水屋さん…だったかな。


城壁に囲まれたオールド・ダマスカス(旧市街)の中へ入ってみましょうか。


旧市街の中でも最大のスーク(市場)であるスーク・ハミディーエです。
夕方ともなると、すごい人出です。


その中でも明らかに1軒だけ賑わっている店がありました。


この白い塊、何だと思います?
実はこれ、アイスクリームです。
このアイスクリーム屋、いつ行っても大賑わいでした。


で、こんなアイスクリーム。
大きな塊からちぎり取ったアイスクリームを砕いたピスタチオの中に放り込んでまぶしたものです。
1つ50SP(約100円)。
美味かったー。
2回食いに行っちゃいました。
あ、一つアドバイスがあります。
コーンとカップが選べるのですが、カップにした方がいいと思います。
コーンだと山のように盛ってくれるのですが、柔らかいのですぐに溶け始めます。
というか、店内で受け取った時点で既に溶け始めているのですが、店内はすごい混みっぷり。
頭上に持ち上げながら外まで出てくる間に、大勢の人の頭の上にアイスが垂れていました。
えらいこっちゃ。


これは…何だったかな。
モスクか何か。


聖アナニア教会
近くには聖パウロ教会などもあり、新約聖書の舞台となった場所なんだそうです。


店や家のドアにこんな年季の入ったドアノッカーをよく見かけます。
この手の形をしたドアノッカーはイスラム教徒にとっての護符、「ファティーマの手」です。
ファティーマとはイスラム教の創始者ムハンマドの4女で、後に4代目カリフとなったアリーの奥さんになった人。
ファティーマは理想の女性として敬われ、イスラム教徒はファティーマの手を護符にするようになったんだそうな。
ほほぅ。


旧市街内の通りにこんなものがありました。
地面に描かれているのはイスラエルの国旗です。
シリアは反イスラエルを明言する国家の一つ。
あからさまに踏みつけて通り過ぎる人もいました。
踏み絵みたいなもんですな。


この店のチョコクロワッサンが美味いんだ、これが。


オスマン時代に造られたヒジャーズ駅です。
内装やステンドグラスが美しいですねぇ。
既に現役ではないらしく、本屋さんみたいになっていました。


シリアでもジャッキー・チェンは大人気らしい。


ナイキ…っぽいメーカー。
JUST DO IT…ANYWAY?
とにかく?

すっかり忘れていましたが、この街は『古代都市ダマスカス』としてユネスコの世界遺産に登録されています。
ボクらにとって54個目の世界遺産となりました。
ぼくらは行っていませんが、世界最古のモスクであるウマイヤド・モスクや18世紀の統治者の邸宅であるアゼム宮殿なんかがあります。


とある日は、クネイトラへ行ってみることにしました。
クネイトラはゴラン高原というところにあります。
ゴラン高原はシリア、ヨルダン、レバノン、イスラエルの4ヶ国に囲まれており、その肥沃な土壌と水の豊かさに加え、戦略上の要所であったことが理由で、常にイスラエルとアラブ諸国の戦争の舞台となってきました。
シリアは1967年の第3次中東戦争でイスラエルに敗北し、このゴラン高原を奪われました。
1974年の第4次中東戦争でシリアはこのゴラン高原を奪還したのですが、イスラエル撤退の際にイスラエル軍によって徹底的に破壊されたのがこのクネイトラです。
イスラエルによる残虐行為の記録であるとして、シリアは爆撃跡を修復することなく公開しているのです。

クネイトラに行くには、まずダマスカスの新市街にある内務省の機関で入域許可証を発行してもらう必要があります。
申請所まではタクシーで(1台75SP、約150円)。
パスポートを預けるだけで、許可証は30分ほどで発行してもらえます。
市バスでガラージュ・ソーマリーエまで移動し、そこからミクロバスを乗り継いででクネイトラへ(15+35+10=60SP、約120円)。

クネイトラは現在、国連監視下の非武装地帯となっています。
ゲートで許可証とパスポートのチェックを受けると、国連の職員がガイドとして案内してくれます。
…が。
フランス語しかできない。
全く何を言っているかわかりませんでした。


すごいですね。


原形を留めている建物はほとんどありませんでした。


写真や映像で見るのと実際見るのとでは、衝撃を受ける度合いが全然違います。
とにかくあらゆる建物が破壊されています。


銃痕でボコボコになった木。


これは病院。


よく見ると、色の濃い部分は銃痕です。
銃で蜂の巣にされるとは、こういうことを言うんですな。


内部もこんな感じ。
無残。
1時間ほど、みんなほぼ無言で歩きました。
戦争とはこういうこと、なんですね。
どっちが良いとか悪いというわけではなくて、とにかく衝撃的な風景でした。


というわけで…


今年もよろしくお願いします。

[PON]

修道院生活。

  • 2010/12/31(金) 03:20:05

<現在、アルゼンチン・ウシュアイアにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年9月10日〜12日の日記*


これが今年最後のブログ更新になりますかな。

日本にいる皆様、そして出会った旅人の皆様、大変お世話になりました。
今年も無事旅を続けることができました。
これから中南米、その後はアフリカへ。
ボクらの旅はまだまだ続くことになりそうですが、来年もどうぞよろしくお願いします。


しばらくノートPCの調子が悪かったのですが、PCに詳しい旅人ヒデさんのおかげで今のところ快調に動いています。
このまま調子悪くならないといいなー。

それから。
あまりネット環境が良くないので、メールやコメントへの返信が遅れがちになっています。
ご了承下さい。



さて。
見どころの少ないレバノン(←失礼)を3泊4日で離れ、シリアへ戻ることにしましょうか。

その日の朝、宿でちょっとした事件がありました。
宿のオーナーが慌てた感じで、「君たち、あの部屋に泊まっている日本人を見なかったか?」と尋ねてきました。
よく事情が飲み込めなかったので、尋ねてみたところ…
警察だか軍だかから、この宿に泊まっているはずの日本人が軍関係の写真を撮ったことについての問い合わせの連絡があったとのこと。
世界の多くの国々では、軍や警察関係の写真を撮ることが禁じられており、見つかった場合は注意だけですむ場合もあれば、デジカメのデータを消去させられたり、カメラ自体を没収されたりする場合もあります。
駅や空港の写真を撮ってもとがめられる場合があります。
で、その日本人はこの街で軍か何かの写真を撮っていたところを見咎められたらしいことまではわかったのですが、問題はその後。
宿にチェックインしたのは前日。
ところが部屋を見る限り、昨夜は戻ってきた様子がない。
宿の人は、連絡があったものの本人がいないので、ずいぶんと困っていたようでした。

で。
後日、その本人と会ったという旅人に話を聞くことができました。
何があったのかというと…
街なかで軍の人だか軍事関連施設だかの写真をとっていたところ、軍の人に見つかってしまったようです。
それだけなら怒られて済んだかもしれないのですが、その時チェックされたカメラの中にイスラエルで撮った写真を見つかってしまったんだそうな。
以前にも書いたことがありますが、レバノンをはじめ、シリアやイラン、スーダンといった国々ではイスラエル入国履歴がある人は入国を拒否されます。
しかしキング・フセイン橋というヨルダンとイスラエルの国境では、パスポートにその証拠を残すことなくイスラエルに入出国することが可能です(詳細は後日紹介します)。
彼も同様のルートでイスラエルを訪問したのでレバノンに入国することが出来たのですが、行ったはずのないイスラエルの写真がある。
というわけで、彼はそのまま軍に拘束されてしまったのだそうです。
そりゃ、宿に帰ってきてないはずだわ。
本人から直接聞いたわけではないので、あまり詳しく書くことは出来ませんが…いろいろと大変だったようです。
監禁されて尋問されたり。
結局、4日後に開放されたんだとか。
旅人のみなさん、気をつけて下さいねぇ。


というわけで、シリアへの移動開始(10時頃スタート)。
まずはバールベックのガラージュ(バスターミナル)からワゴン型のセルビスでシュトゥーラという街へ移動(所要1時間、3000LP、約165円)。
ここからダマスカスまではセルビスタクシーで移動します。


これが国境を越えるセルビスタクシー。
アメ車ですな。
交渉の結果、1台64000LP(約3520円)になりました。
ちなみにシリアポンドへの両替はここで出来ます。


途中で見かけた風景。
確認はしていませんが、おそらくパレスチナ難民キャンプだと思われます。

国境でレバノンの出国税8USDを支払い、スムーズにシリアへの入国も完了。
セルビスタクシーは首都ダマスカスのガラージュ・ソーマリーエまで行ってくれました。
この日はダマスカスには留まらずに、マルムーサ修道院というところへ向かうことにしたので、市バスでガラージュ・ソーマリーエから街の反対側にあるガラージュ・アッバースィーン(だったはず)へと移動(10SP、約20円)。

ここで昼食タイム。


子ネコに襲われるシンジくん。


かわいい。


かわいい。


めっちゃかわいい。


マルムーサへ行くには、ガラージュの事務所らしきところでパスポートを見せて何やら届け出をする必要がありました。
で、ここからセルビスでネベックという街へ75SP(約150円)。
その街が終点なのですが、そのセルビスの運転手と交渉すると、そのままマルムーサ修道院のある山の麓まで連れて行ってくれます(1人50LP、約100円)。


道中はこんな感じ。
荒涼とした大地が広がっています。

で、山の麓に到着。
ここから長ーい階段を上っていきます。
これがきついんだ。


17時過ぎなのに、とりあえず暑い。←既にぐったり


上の方に見えるのが修道院です。


ひたすら上り続けます。
休み休み上ること約30分、疲れ果てた頃にマルムーサ修道院に到着。


大きなイヌが出迎えてくれました。


あ、寝た。


マルムーサ修道院シリア正教に属する修道院です。
出会った旅人にここの存在を教えてもらいました。
大雑把に説明すると、信者はもちろんのこと、旅人でも誰でも、何らかの労働をする代わりに、無料で寝泊りできて食事も取ることができるところです。


宗教的な場所なので、男女別のドミトリー。
寝床はマットレスと毛布だけという簡単なものでしたが、特に不都合はありませんでした。
共同のシャワーもちゃんとお湯が出ました。


ここからの眺めは素晴らしかったですな


修道院を上から見たところ。


さて、ここでの生活を紹介しましょう。


毎日朝晩、こんな場所でミサ(のようなもの)が行われます。
人数が多い時は屋外の共同スペースで行われたこともありました。
…が、ただボクらのイメージしていたものとは結構違うところがありました。
ミサの形式だとか、お祈りの仕方だとか(説明すると長いので省きます)。
夜のミサの前には瞑想タイムなんてのもありました。
そこらへんがシリア正教なんでしょうかね。
ドイツ人のバックパッカーと話をする機会があったのですが(彼はプロテスタント)、彼もこんなスタイルは初めて見ると言っていたので、違和感を感じていたのはボクらだけではなかったと思います。


毎日、3食ご飯が食べられます。


とある日の朝ご飯はこんな感じ。
朝はホブス(ナンみたいなやつ)中心の簡単な食事です。
人が多かったので、毎度毎度席の取り合いでした。


とある日の昼ご飯の風景。
修道院の人に加えて、有志の人たちで作っているようでした(手伝っていないのでわからない)。


炊き出しのようですな。


結構美味かったです。


朝ご飯の後は労働タイムです。
働かざる者食うべからず。
修道院の人からいろいろと指示を出されます。


例えば土砂のバケツリレーとか。←結構辛かった


例えばゴミ焼きとか。
他にもトイレ掃除だったり、荷物運びだったり(あの大量の木型の靴は何に使うんだ?)、何かとやることがあります。


この修道院、基本的には無料で泊まれて飯も食えるので、旅人にとってはありがたい場所だったんですが、すごいよかったかと言われれば…微妙ですかね。
今まで見たことのないものを見られるという点では貴重な体験でしたが、全く信仰心のない者が紛れていることの居心地の悪さはずっとありました。
しかもちょうどシリアの祝日(ラマダン開けの休み)に重なってしまったため、ものすごい人で込み合っていました。
普段はもっと人が少なくて、のんびりした感じなんだそうです。
それともう一つ、男子ドミトリーの方は修道院の建物本体とはちょっと離れていて、基本的にはみんなかまってこないので、労働の時間以外は部屋でのんびりと本を読んだり昼寝したりしながら過ごすことができるのですが、女子の方は…結構大変だった様です。
まずシャワーが水。
朝晩はかなり冷え込むので、水シャワーはかなりきつかった見たいです。
それから本来ミサは自由参加のはずなのですが、ミサの時間に部屋にいると出るように言われるし(女子ドミトリーの真下がミサ会場)、異人種、異国民、異教徒という完全アウェーの状態の中、イヤな思いもしたようです。


そんな中、このシリア人の女の子がずいぶんと優しくしてくれたようです。


日本にも興味があるらしく、一生懸命日本語を覚えようとしていました。


そんなマルムーサ修道院でも、ものすごく素晴らしいことがありました。
まずは星空
ちょうど新月だったせいもあると思いますが、旅の中で見た星空で一番すごかったです。


それと朝日


本当に美しい日の出だったなー。


早朝なんかはかなり寒いんですが、外で寝ている人も結構いましたね。

きれいな朝日を見ながら、ふと横を見るとシンジくんが…


なに人だよ。
寝起きで、いつもしばっている髪をほどいていたので、どこかの部族の人みたいに見える。
ボクらの部屋のドラえもん。
いつも大いびきをかきながら、部屋の押入れ的な場所で寝ていました。

[PON]