太陽の国。

  • 2010/06/30(水) 21:45:45

<現在、ウズベキスタン・ブハラにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月28日の日記*


というわけで、ボクらはタシュケントから西方へ約750kmのところにあるヒヴァという街へやって来ました。
17世紀頃にホレズム帝国の首都がこの街に移されてから、ヒヴァは政治、経済、宗教の中心地となり、その後ホレズム随一のイスラームの聖都となりました。
街は外敵の侵入を防ぐために外壁と内壁の二重の城壁が築かれ、内側の城壁に囲まれた内城イチャン・カラには20のモスク、20のメドレセ(神学校)、6基のミナレットをはじめとする数多くの遺跡が残されています。
街そのものが博物館であると言われるここヒヴァ『イチャン・カラ』はユネスコの世界遺産に登録されています。ボクらにとって35個目の世界遺産です。
ちなみに現在ヒヴァはホレズム州にありますが、ホレズムとは「太陽の国」という意味です。その名の通り、年間300日は雲ひとつないという過酷な土地で、ボクらも存分にその洗礼を受けました。
毎日、激暑です。


ボクらの泊まったLa'Li Opaの朝食スペース。
日光の当たる部分は朝8時で既に暑いです。


朝ご飯(宿泊費に含まれる)。
サマルカンドでの朝食に比べればごくごく常識的な量ですな。というか、あっちの朝食がボリュームあり過ぎ。


ウズベキスタンのリンゴはちっちゃいけど、甘くて美味しい。


宿の子供。
この子、1日の8割は全裸で走り回っています。

さぁ、イチャン・カラ探検に出かけましょう。


宿の目の前がどどーんと城壁です。
洗濯なんかを片付けて10時頃に出かけたのですが、体が溶けるほど熱いです。


ちなみに全体図はこんな感じ。
ぐるっと取り囲んでいるのが内側の城壁で、この内部をイチャン・カラと呼びます。


宿のすぐ近くにあるアタ門(西門に当たる)です。
ここがイチャン・カラへのメインゲートで、2日間有効の入場券がここで買えます。例の学生証が使えて、学割で15000UZS(約750円)のところが11000UZS(約550円)でした。これでイチャン・カラ内の大方の建物に入ることができます(一部別料金あり)。
そしてアタ門をくぐると…


そこは別世界。
別の時代の街へ迷い込んでしまったような錯覚に陥ります。
左側はキョフナ・アルクという古い宮殿の城壁、右側はムハマンド・アミン・ハーン・メドレセ、前方右に見えるのはカルタ・ミナルです。
カルタ・ミナルのカルタとは短いという意味で、これは未完成のミナレットです。実際は26mしかありませんが、完成すれば70mから80mの高さになったであろうと言われています。
青の彩釉タイル装飾が美しいですなぁ。


ムハマンド・アミン・ハーン・メドレセの入り口。
今までとはちょっと模様の感じが違いますな。


かつては中央アジア最大規模の神学校であったばかりでなく、イスラームの最高裁判所の事務局として使われていましたが、学生達が寄宿していた部屋は現在ホテルの客室として使われています(オリエント・スター・ホテル)。もちろんボクらには手が出ない値段ですが(といってもツインで80USDくらい)。


この街のあちこちに現役の井戸を見かけました。


中央アジアで最も有名なモスクの一つであるジュマ・モスクの内部です。
多柱式建築というだけあって、柱祭りです。


柱にはこのように美しい彫刻が施されていますが、213本ある柱の彫刻はすべて異なっているそうです。

あまりにも暑いので、一旦宿に戻って昼寝をしてから、夕方観光を再開。


パフラヴァン・マフムド廟(別料金3000UZS、約150円)。
ここのドームのターコイズブルーは土色の建物が多いこの街でひときわ美しいのですが、近すぎて写真に入らず。後で上空からの写真をお見せします。


ここの柱の彫刻も見事ですなー。
それにしても柱はなんでこんな形なんでしょ。いまいち安定感にかける気がするのですが…。


ムハマンド・ラヒム・ハーンさんの墓石。
霊廟内は一面鮮やかなターコイズブルーの彩釉タイルで覆われていました。


どどーんと正面に見えるのがヒヴァで一番高いイスラーム・ホジャ・ミナレットです。
高さは45mなのですが、色の付け方(上に行くほど狭い)のせいで実際より高く見えるんだそうです。別料金3000UZS(約150円)でミナレットに上ることができました。


思ったより急で段差がでかい。
118段あるのですが、KAOは翌日筋肉痛になっていました。


おぉ、いい眺め。
手前の青いドームが先ほど紹介したパフラヴァン・マフムド廟のものです。


このたこ焼きみたいなものはお墓のようです。

ふと周りの壁を見ると、いたずら書きが。


B'zはいつの間にウズベキスタンへ進出したのでしょうか。


ヒヴァで最も豪華な装飾で飾られているタシュ・ハウリ(石の庭という意味)宮殿の内部です。
ちなみにこのような張り出し屋根のような構造をアイヴァンといいます。


アイヴァンの天井の装飾です。
このような木枠とカラフルな幾何学模様を組み合わせたような装飾は今までお目にかかったことがありません。


この日の観光はこれにて終了。
翌日もまだ続きます。
日中は本当に暑いので、観光客もいなければおみやげ屋さんの人もいなくなってしまいます。ちょっとしたゴーストタウンのようでした。


買い物帰りに見かけた子供たち。


この兄弟(?)は水溜りで寝そべって水遊びをしていました。


あーあ、べちゃべちゃ。
母ちゃんに怒られるぞ。

[PON]

ラッキー続き。

  • 2010/06/29(火) 16:23:16

<現在、ウズベキスタン・ヒヴァにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月27日の日記*


長居したサマルカンドからヒヴァという街まで移動することにしました。
サマルカンドからヒヴァまでは結構遠く、途中ブハラという街を通ってウルゲンチという街まで移動し、そこで乗り換えてやっとヒヴァに辿り着きます。
途中のブハラという街で1泊する方が体的にも楽だし本数も多いのですが、ボクらはできれば一気にウルゲンチまでバスで移動し、その日のうちにヒヴァまで行きたいと考えていました。ちなみにサマルカンドからブハラまではバスで4〜5時間、ブハラからウルゲンチまでは7〜9時間かかるとのこと。

バスのスケジュールを調べるために前日のうちに2つのバスタミナールに行ってみたのですが…いまいちよくわからず。
公営バスの方は1日2本あるようだったのですが、どちらも到着は真夜中になり、その時間からの宿探しはちょっと厳しそうということで却下。
民営バスの方はタシュケントから来るバスに途中乗車するという形になるため、はっきりとした出発時間はわからないものの、10:00頃のバスに乗ることができれば21:00頃にはヒヴァに着けるかもしれないということでした。しかしこれも日本語とウズベク語との間で交わされただいぶ曖昧な会話から得られた情報だったので、いまいち信憑性がありません。しかし他に手がかりがないので、とりあえずはその10:00発のバスを目指して民営バスターミナルへ行ってみることにしました。


とても良くしてくれた宿の人たちに別れを告げ、まずは徒歩でシヤブ・バザールの裏へ。
ここで民営バスターミナル行きのバスに乗ろうと思ったのですが…えらい混みっぷり。こんなでかい荷物を背負って乗り込むのは無理だなー、どうしようかなーと困っていたところ、ちょうど目の前に乗り合いのワゴンタクシーらしきものが到着。どうやら目指している民営バスターミナルへ行くとのことだったので、乗せてもらいました(1人1000UZS、約50円)。
ラッキー。

15分ほどで民営バスターミナルに到着(と言っても、正確にはただの道ばた)。
改めて周りの人に聞いてみると、ウルゲンチ行きのバスは12:00発だと言う人もいれば、そんなバスは無いと言う人も。
で、とりあえず10時過ぎまで待ってみたのですが、バスが来る気配無し。まだ来ていないだけなのか、それともそんなバスは存在しないのか…。
あんまりのんびりしているとヒヴァ到着が夜中になってしまうので、そろそろ次の手を考えねばなりません。ウルゲンチへのダイレクトバスは諦めて、とりあえずブハラ行きのバスにでも乗ろうかと思っていたところ、一人のウズベク人が英語で話しかけてきました。
「今タシュケントからブハラに車で帰るところなんだけど、乗って行かないかい?お金は要らないから。
…マジですかー!
特に怪しげな雰囲気も無かったので、乗せてもらうことにしました。
ラッキー。


彼はブハラに住んでいて、仕事(チーズを作る小さな会社の社長さんらしい)でタシュケントへ行った帰り道なんだそうです。いつも一人で往復なので、こうやって人を乗せてあげることがあるそうな。
いやー、それにしても運が良かったなー。


で、いろんな話をしながら車をぶっ飛ばすこと約4時間、ブハラの街に到着。
着いたはいいけど、ここからどうしたもんかなー…と思っていたら、そこへちょうどウルゲンチ行きのバスがやって来ました。
おぉ、なんというタイミング。
彼が値段交渉までしてくれて(1人12000UZS、約600円)、無事バスに乗れることになりました。途中乗車だから乗れない可能性もあり、実際ボクらが乗り込んだ時にはhほぼ満席でした。
これまたラッキー。
それにしても○○さん、ありがとう!←発音が難しくて忘れてしまった。ごめんなさい。


さぁ、これであとはバスに乗っているだけでウルゲンチへ行けるわけなのですが…
バスが暑すぎる
以前乗ったバスとは違って窓は開くのですが、吹き込んでくるのは熱風
それもそのはず…


この辺りは砂漠の一本道
外気温は楽々40度を超えていたのではないでしょうか。いや、もっと高かったかも。
途中の休憩で買った1.5リットルのファンタをふたりで一気に飲んでしまうほど暑いバスに揺られ、干乾びかけた頃にウルゲンチの街に到着。
ブハラを出たのが14時でウルゲンチに着いたのが21時頃だったので、7時間ほどかかったことになります。
それにしてもあの暑さの中で寝られるKAOはすごい。


まだ移動は続きます。
ここから目的地であるヒヴァまで移動しなければならないのですが、時間的にタクシーで移動せざるを得ない雰囲気。
言い寄ってきたタクシーの運ちゃんと交渉を始めるも、最初の言い値は50000UZS(約2500円)。相場がわからないものの、そんな高いわけないでしょーと粘り強く交渉をしていると、たまたま通りかかった英語のできる現地の人が話しかけてきてくれました。渡りに船とばかりに交渉に加わってもらい、最終的に2人で15000UZS(約750円)で交渉成立。
タクシーの運転手の言い値がいかに当てにならないかがおわかりになるかと思います。

夜道を爆走すること40分ほど、ヒヴァの街に到着。
何も告げていないのにタクシーが止まった場所は、なんと行こうと思っていた宿の目の前
やるじゃん。
22時頃、ようやっと荷物を降ろすことができました。泊まることにしたのはLa'Li OpaというB&B(Bed and Breakfast)です。
トイレ・シャワー・クーラー付きのツインルーム、朝食込みで言い値25USD(約2500円)を23USD(約2300円)にしてもらいました。結構高めですが、この街では最安値の部類に入るんだそうです(こんな夜遅い到着でなかったら、もう少し値切れたかも)。部屋やシャワールームは非常にきれいで、共同の冷蔵庫やテレビもあります(W杯が見られる!)。


というわけで、長い移動が終わりました。
さすがに疲れたなー。
しかしたまたま通りかかった人の車に乗せてもらえたり、絶妙のタイミングでバスが現れたり、たまたま英語のできる人が通りかかったりと、本当にラッキー続きでした。もし少しでもタイミングがずれれば、ヒヴァへの到着は真夜中、もしくは翌日になっていたかもしれません。
まぁ、オレらの日ごろの行いなら当然のことでしょうかね。←そのうち痛い目見る

[PON]

サマルカンドな日々。

  • 2010/06/28(月) 16:10:07

<現在、ウズベキスタン・ヒヴァにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月18日〜26日の日記*


訳あって、サマルカンドに長居していました。
というわけで、今回もサマルカンドのお話。

6月26日は次の街へ移動するためのバスのスケジュールを確認するために民営バススタンドまで行ったのですが、ついでにそのすぐ近くにあったウルグベク天文台跡に行ってみました。


シヤブ・バザールのそばからバスに乗って15分くらい。
バス代は1人400UZS(約20円)です。


チュバン・アタという丘の上にあるあれが…


天文台跡かと思ったら、これは博物館らしい。
らしいというのは、ばりっばりのリニューアル中で中に入れず。


こっちが天文台跡の入り口らしいのですが、こっちも入れないっぽい…と思ったら、そばにいたおばちゃんが1人4000UZS(約200円)で扉を開けてくれました(通常の入場料よりは安いっぽい)。


六分儀の遺構だそうです。
ここでの観測を元に得られた1年の長さは、今日のものと誤差が1分にも満たないそうです。望遠鏡も無い時代の観測結果としては驚異的な数字なんだそうな。


すぐ近くにあったモニュメント…っぽい何か。
リニューアル記念の除幕式前ってところでしょうか。まぁ、おそらくウルグベクさんでしょうな。


道端で見かけたニセミッキー。
いんちきマジシャンみたいですな。

ちなみにこの日の両替レートは1USD=2150UZS
200USD交換して、またもや1000UZS札430枚という大量の札束を手にしました。
この国の銀行強盗って大変だろうなぁ。
あれだけバッグに札を詰め込んできたのにたった20万円?みたいな。
あ、だから高額紙幣を発行しないのか。←たぶん違う


さて、ここからはのーんびりと過ごした宿での日々について。

ボクらの泊まっているBahodirという宿、ひっじょーに居心地がいいことは以前にも書きましたが、とにかく飯が美味い。しかも量が多い
朝ご飯は宿代に含まれているし、晩ご飯は4100UZS(2USD相当、約200円)で食べることができます。
朝ご飯の量が多いので、晩まで腹が減りません。というわけで、宿代以外ほとんど使わないで済んでいます。
ちなみに長居することを条件に宿のお父ちゃんと交渉したら、4日目から宿代を34850UZS(17USD相当、約2100円)から30750UZS(15USD相当、約1500円)に下げてもらうことができました。お父ちゃん、ありがとう!
ちょいちょいシャワーの出が悪くなったり、扇風機が止まったりなどのハプニングはありましたが、それを補って余りあるほどの宿の家族の人の良さ、優しさ。
自信を持っておすすめできる宿です。


というわけで、まずは宿で食べていたご飯の紹介。
ほぼ典型的なウズベキスタンの食事らしいです。
まずは朝ご飯シリーズ。


一番多いパターン。
大きな皿に入っているのは…何でしょうね。ミルク粥のようなものです。甘いです。
ヨーグルトも美味い。


粒を残したようなお粥ですが、味は一緒。


この日はパンケーキっぽいもの。
このように毎朝炭水化物満載です。


この日はちょっと変り種。
目玉焼きの下にあるのは…何でしょうね。豆かな。美味しいです。


次は晩ご飯シリーズ。
メニューが非常に豊富で、6つの違うメニューに当たりました。長期滞在者にはうれしいところです。


まずはウズベキスタンと言えばこれ!というプロフという料理。ピラフと同語源だと思われます。いわゆる炊き込みご飯。
タマネギやニンジン、ニンニクなどを混ぜて炊き込まれていて、大きな羊肉がごろんと入っています。
これは美味い。日本人の口に合うと思います。
ちなみにこの他にナンも付いてくるので、猛烈に腹いっぱいになります。


ラグマンという中央アジア風のうどんです。
トマトベースのスープに具がたっぷり。
美味いっす。


ジャルコーエといって、羊の肉を使った肉じゃがってところですかね。
美味いですが、白米が欲しい。


肉じゃがの変化球で肉団子じゃが。
これも羊の肉です。ボクらは北海道で羊の肉に慣れているので美味しく感じますが、羊が苦手な人にとっては結構厳しいみたいです。


豆の入ったスープ。
その向こうの小皿はジャガイモ、黄色いニンジン、そして(また)羊の肉を煮たものがのっています。
肉が柔らかくて美味い。


マッシュポテト、マッシュ豆(?)、マカロニ(ピリ辛ソース)、そして(またまた)羊の肉のハンバーグです。
ハンバーグ美味し。
こうやってみると羊肉とジャガイモばっかりですな。


KAOが宿の子供からもらったりんご飴。
日本と同じ味でした。


近くのスーパーで買ったビール。
このPulsarはサマルカンドの地ビールらしいです。1100UZS(約55円)。安い。


こんなにいい宿なので、世界中からバックパッカーが集まってきています。

日本で2年ほど働いているという日系アメリカ人とオーストラリア人に出会いました(二人とも日本語が達者)。


彼らが吸っていたシーシャ(水タバコ)。


ちょっと吸わせてもらいました。


いろんなフレーバーがあるのですが、これはスイカ味
かなり珍しいんじゃないだろうか。いつでもどこでもスイカが出てくるウズベキスタンでは普通なのかな?
煙は出ますが、一旦水の中をくぐってきた煙なのでニコチン感はありません。

彼らは日本語ができるので、ここぞとばかりにいろいろ聞いてみました。
日本で本当に美味しくないと思うものはモツ煮込み(食感が無理)、ゴーヤ(苦すぎる)、そして予想通り納豆(ありえない)だそうです。
日系アメリカ人であるクリスはお父さんの出身が沖縄だそうで、彼はゴーヤは食べられるそうです。ちなみに玉子かけご飯も美味いと思うんだそうです。


とある日には、サマルカンド大学の日本語学科の先生と生徒さんが宿にやって来ました。先生の方は日本人で、青年海外協力隊として来ているんだそうです。
旅行者にサマルカンドの印象などのアンケートを取りにやって来たのですが、驚かされたのは生徒さんの日本語の上手さです。
聞いたところによると、ウズベキスタン人は語学習得能力が高く、特に日本語に関しては抜群なんだそうです。先生はいろんな国の生徒に日本語を教えた経験があるのだそうですが、ここまで苦労しない生徒たちは初めてなんだとか。ウズベク語は日本語と文法が非常に似ているので、単語を覚えるだけで話せるようになってしまうし、またウズベク語の発音が日本語と似ているものが多いせいらしいのですが、発音も非常にきれいなんだそうです。実際、一緒に来ていた生徒さんも、外国人が日本語を話す時特有の違和感みたいなものをほとんど感じさせませんでした。先生曰く、ウズベク人とロシア人を一緒に教えていると、その成長の度合いは歴然だそうな。意外な事実ですな。

というわけで、日本語の上手なウズベキスタン人がどんどん育っていくわけですが、一番の悩みはそれを生かせる場がほとんど無いということだそうです。
ウズベキスタンでは韓国系の企業は非常に多いのですが、日本系の企業はほとんどありません。また日本へ行こうと思ってもビザが下りにくかったり物価が高かったりと、あまり現実的ではないそうです。
で、結局ウズベキスタンへやって来る日本人を相手にする観光業しかないのですが、そこまで需要があるわけではありません。
せっかく上手な日本語を話せるようになっても、それがどこにもつながらないというのは寂しいことですなぁ。何か彼らの日本語能力を生かせるような手段があるといいのですが。


とある日の午後。


おっ。


リクガメ発見。


にらんでみる。


威嚇してみる。


逃げる。


追いかける。←意外としつこい


つかれた。


リクガメにお手を強要するKAOと見守るイヌ。
いや、しないから。

[PON]

青の都。

  • 2010/06/25(金) 17:39:27

<現在、ウズベキスタン・サマルカンドにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月20日〜21日の日記*


見ましたよー、日本-デンマーク戦。
勝ちましたなー。
宿で一緒だった日本人4人、大喜びしてました。
本田、やるじゃん。


さて、今回もサマルカンドのお話です。


6月20日はシャーヒズィンダ廟群へ行ってみました。(入場料3000UZS、約150円)。


ティムールゆかりの人々霊廟がずらりと建ち並ぶ、サマルカンド有数の聖地です。


入り口の門をくぐると最初にあるのが「天国への階段」です。
この階段を数えながら上り、その数が行きも帰りも同じだったなら天国へ行けるのだそうな。
結構段数が少ないので、天国行きの人間が続出すると思われます。ボクらも楽勝で天国行きです。


階段を上がると、左右に霊廟がずらりと並びます。


さらに奥へ行くとこんな感じ。


青と浮き彫りが美しすぎる。
ここの装飾のレパートリーの多さはすごいです。


日影でぼーっと。
暑いもんねぇ。

それぞれの霊廟の内部もそれはそれは美しい。
しかもそれぞれ違った装飾なので、見飽きることがありません。


こんなのや…


こんなの。


こんなの。


こんなの。


こんなの。
なんだかだいぶ大雑把な説明で申し訳ない。


モスクの礼拝所で祈りをささげる。


このシャーヒズィンダ霊廟群、思った以上に素晴らしいものでした。
見ごたえのある霊廟がずらりです。


夕方、ネット屋に行った帰り道。


グリ・アミール廟です。
ティムールをはじめ、彼の息子たちが眠る霊廟。
しつこいようですが、青が美しい。
外から見ただけで、中には入りませんでした。


さて。
6月21日はサマルカンド最大の見どころ、レギスタン広場へ(入場料7900UZS、約395円+カメラ代3000UZS、約150円)。
宿から歩いて5分ほどのところにあります。


これです!
この光景が見たくて、はるばるウズベキスタンまでやって来ました。
美しいー!

シルクロードを代表するオアシス都市、サマルカンド
都市としての起源は紀元前10世紀まで遡るといわれていますが、地理的な要衝にあることからたびたび外部勢力の侵入を受けてきました。そしてついに1202年、チンギス・ハーン率いるモンゴル軍の来襲時に壊滅的な破壊を被り(町の人口の4分の3以上が殺されたんだそうな)、その歴史は一旦途絶えてしまいました。
そのサマルカンドをよみがえらせたのが帝王ティムール。遠征先で得た富と、当時の先進地帯であった西アジアから連行した建築家や職人などの人材をつぎ込み、後代の君主たちもそれに習った結果、今の美しい「青の都」が生まれたわけです。
そしてそのサマルカンドの主要道路の交差点であったのが、ここレギスタン広場です。
向かって右からシェルドル・メドレセ、ティラカリ・メドレセ、ウルグベク・メドレセの3つの神学校が並んでいます。


まずは向かって右にあるシェルドル・メドレセ


入り口アーチに描かれているのは人面を帯びた日輪を背負った、小鹿を追うライオン(トラにしか見えん)だそうです。
何を意味してるかは…よくわかりません。
イスラーム教では偶像崇拝が否定されているため、このような人や動物の姿をモチーフにした図柄がでかでかと描かれていることは非常に珍しいです。


装飾がすごすぎる。


中はこんな感じ。
おみやげ屋さんがいっぱいありました。


次は向かって左にあるウルグベク・メドレセ
向かって右側のミナレット(尖塔)が少し傾いているのがおわかりでしょうか。アーチ両側のミナレットは「空を支える」ためにあり、その重さのせいで傾いているんだと言われているんだそうな。
じゃあ左側はなぜ、というツッコミは置いといて。


ティムールの孫ウルグベクによって建てられた神学校です。
彼は天文学に造詣が深く、星をモチーフにした装飾が非常に多いです。


みんな同じ顔に見えなくもないですが、座っている方がそのウルグベクさんだそうです。
彼自身が教壇に立つこともあり、各地から集まった100人以上の学生が寄宿していたこの神学校は、中央アジアの文化や学問の伝道と研究の場として大きな役割を果たしていたんだそうです。


最後に広場正面にあるティラカリ・メドレセ


柱の装飾。
すごいですな。


中庭に入った左側にある礼拝所に入ると…


すっげー。


いやー、美しい。
修復に3kgの金が使われたんだそうです。


ミフラーブ(メッカの方角を示す壁のくぼみ)もすっげー。
ちなみに「ティラカリ」とは「金で覆われた」という意味なんだそうな。
納得。


レギスタン広場、すごいです。
イランのエマーム広場もすごかったけど、こっちも負けてない。
いい勝負です。
常にシルクロードの中心都市として栄えてきたこの街にアレクサンダー大王の遠征軍が到達した時、彼をして「話に聞いていた通りに美しい、いやそれ以上に美しい」と言わせしめたサマルカンド。
「青の都」「イスラーム世界の宝石」「東方の真珠」など、数多くの異名を持つサマルカンド。
いやぁ、想像以上でした。
ウズベキスタンに来てよかったー!


最後に宿の愉快な仲間たちオールスターズ。


イヌです。
出現頻度は高いです。ちっちゃくていつもびくびくしている。慣れるまでに3日ほど要しました。
いつもちょこまか動き回っているので、この寝ている写真は結構レアもの。


ネコです。
出現頻度は中くらい。夜になると台所を徘徊しに出てきます。木の上にいることも。
本当は親子なのですが、なかなか一緒にいるところを撮れません。
まったく人になついていないので、接近は半径1mが限界です。


リクガメです。
出現頻度はかなり低く、3日に1回くらいしか見かけません。
つーか、普段どこにいるの?


アリです。
出現頻度は激高です。
朝・夕食時のハチミツに群がりまくり。みんなハチミツに夢中でほとんど動きません。
たまにハチミツで溺死しているヤツもいます。彼らにとってはものすごく幸せな死に方なんでしょうか。

[PON]

バザールでござーる。

  • 2010/06/23(水) 17:35:18

<現在、ウズベキスタン・サマルカンドにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年6月19日の日記*


さぁて、やってきましたサマルカンド
サマルカンド…なんとも魅惑的な響きですなー(個人的に)。
ドラクエ兇巴膣屬砲靴燭里魯汽泪襯ンドの王子だったことを覚えていらっしゃるでしょうか。あの城とそっくりな城がここにはあります。…ウソです。たぶん名前だけです。
(訂正:ドラクエはサマルカンドじゃなくてサマルトリアでした。あっくん、指摘ありがとう。)
そんな(←どんな?)サマルカンド。ボクらはここを見たくてわざわざウズベキスタンへやって来たと言っても過言ではありません。
中央アジアを代表する建築群が存在するこの街は『サマルカンド-文化交差路』としてユネスコの世界遺産に登録されています。ボクらにとって34個目の世界遺産です。

というわけで、サマルカンド散策へ。


タシュケント通りという遊歩道をてくてくと歩いていくと…


バザールがあります(もちろん世界遺産ではない)。


扱っているもの毎に店がかたまっています。
この辺は乾物屋(豆とか)ですかね。


日本で言うところの甘納豆にかなり近いです。
普通に美味い。


コーラではなくてベリージュースです(500UZS、約25円)。
「体にいいから飲みなさい!」と言われている雰囲気だったので飲んでみました。


ものすごい濃いいジュース。確かに体にはよさそう。


完全に座ってくつろいじゃってますが、一応売る側の人です。


ちょっと食べさせてもらったら、チーズとヨーグルトの相の子みたいな味がしました。
美味しい。
イランと違って、女性も喜んで写真を撮らせてくれるので助かります。


野菜の緑も鮮やかですが、売っている女性の服装もまた色鮮やかです。
おばちゃん、つまみ食い。


サマルカンドのナン(窯で焼いた平たいパン)は全国的にも有名で、はるか昔から「ナンはサマルカンド」と言われていたほどだそうな。
分厚くて、中はみっちりと詰まっており、もっちもちです。
ウソかマコトか、サマルカンド以外の場所で全く同じ材料と製法で作っても、サマルカンドと同じようなナンはできないんだそうです。
バザールだけでなく、街のいろんなところでナンを売っているのを見かけました。


ナン売りの兄ちゃんたちと。
こっちの表面がボコボコしたようなナンは中がふわっふわのタイプです。こっちのナンも美味い。


バザールで話しかけられた女の子たちと。
ウズベキスタンは今まで行ったどこの国よりも様々な人種が混在しているような印象を受けました。いわゆる中央アジアっぽい顔の人から、ロシアっぽい人、ヨーロッパっぽい人、東洋人っぽい人など本当に様々です。
地味に後ろのおっちゃんまで微笑んでるな。


バザールへやって来た目的の一つは両替です。
闇両替のおっちゃんたちがたむろしている場所を見つけて、交渉開始。
首都タシュケントでは1USD=2200UZSくらいで替えられるらしいですが、ここサマルカンドではどんなに頑張っても1USD=2100UZSくらいが限界でした。最後にちょっと色をつけてもらって1USD=2110UZSで交渉成立。200USDを交換してもらったので、422000UZS。
前回書いたように最高額紙幣が1000UZS札なので、どういうことになるかというと…


こういうことになります。
1000UZS札が422枚。たかだか20000円くらいを両替しただけででこの有り様。おっかねー。


帰りに立ち寄ったビビハニム・モスクです(入場料4200UZS、約210円)。
かつてはイスラーム世界で世界最大の規模を誇り、現在でも中央アジア最大のモスクだそうです。ちなみに主門の高さは35m。


斜めから見るとこんな感じ。
モスクのドームの青が美しい。いわゆる「サマルカンド・ブルー」ってやつです。
ティムール帝国を築き上げたティムールの命で1404年に完成した壮大なモスクです。外側は修復のおかげでこんなに美しいですが、モスクの内部は荒廃した感じでした。


中庭に置かれた、巨大な大理石のラウヒ(書見台)です。
このラウヒの周りを願い事を唱えながら3周するとその願い事が叶うという言い伝えがあるとのこと。
宝くじが当たりますように。宝くじが当たりますように。宝くじが…
いや、そもそも買ってないし。


さぁ、帰りますか。


上を食べちゃったソフトクリーム…ではなくて、こういう状態で売られていました。300UZS(約15円)。


ロバ車からイェーイ。


この日は早々に観光を切り上げて宿に戻ってきました。というのも…


そうです。
日本-オランダ戦です(ウズベキスタン時間16:30キックオフ)。
ボクらを含め4人の日本人で観戦しました。
結果は…
うーむ、なんか不完全燃焼。まぁ、勝てないまでも引き分けくらいには持ち込めた試合だったんじゃなかろうか。
おそらくかなりの数の日本人が「前にはじけよ!」と思ったことでしょう。

さぁ、(こっち時間で)明晩は日本-デンマーク戦です。
結果や、いかに…。

[PON]