それはそれは大変な国境越えでした。

  • 2011/01/20(木) 03:21:56

<現在、アルゼンチン・サン・カルロス・デ・バリローチェにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年9月17日の日記*


さて。
大変な思いをしてヨルダンの首都アンマンへ到着したわけだが、まずは早々にイスラエルへ向かうことにした。
イスラエル滞在後にはまたアンマンに戻ってくるので、宿や街の紹介はその時に。

あ、最初に断っておきます。
今回は長いくせに文章ばっかりです。
イスラエル国境付近は当然撮影禁止で、もし見つかれば他の国々の国境以上にえらいことになることになるので、全然写真がありません。
ご了承下さい、な。


さてさて。
ボクらの泊まったMansur Hotelは日本人旅行者の間で評判の良い宿なので、たくさんの日本人が宿泊中だった。
尋ねてみたところ、翌朝6時にイスラエルのエルサレムへ向かう一行がいるとのことだったので、便乗させてもらおうと思ったのだが、宿に着いたのが遅くてまだ晩飯も食っていないのに、今から翌日のために情報を集めたり両替をしたりしなきゃならんし、シャワー浴びたり洗濯もしたいし、そもそも長距離移動で疲れていたし…
ということで、ボクらふたりはアンマンで2泊してからイスラエルへ向かうことにした。
…というのは表向きの理由で、実はアンマンについて早々KAOと大喧嘩をして、もう移動とかそれどころじゃなかったってのが真相なのだが(笑)。
そのせいで長いことずーっと行動を共にしてきたシンジくんとトキちゃんとは、ついに別行動に。
さようなら!
…とか大げさなこと言ってるが、実際は1日遅れでエルサレム入りし、向こうでも2人と同じ宿に泊まることになるわけだが(笑)。


というわけで、いざイスラエルへ!!!!!

なぜ「!」が5つも付くほど気合が入っているかというと、イスラエルは入国審査が厳しいことで有名なのである。
「安全は何物にも優先する」という方針の下、何でもないことを疑われて入国を拒否されたという旅人の話も耳にした。
ウソかマコトか、PCを銃で撃ち抜かれたなんて人の話も(この人の場合、反イスラエル丸出しだったらしいが)。

そして我々にはもう一つの難関が。
中東を訪れる旅人の間で有名な合言葉、「ノースタンプ、プリーズ!」である。
ご存知の通り、基本的にはイスラエルとアラブ諸国は敵対関係にある。
イスラエルではアラブ諸国を含めどの国の入国実績があっても(基本的には)入国を拒否しないのだが、逆にアラブ諸国の中にはイスラエル入国の痕跡がパスポートにあると、自国への入国を認めない国がある。
シリア、レバノン、イラク、サウジアラビア、クウェート、リビア、イエメン、スーダンといった国々がそれにあたるのだが、ボクらはイエメンやスーダンに行く可能性がある、というか行きたいと思っていたので、パスポートにスタンプなんぞ押されるわけにはいかない。
そこで出てくるのが「ノースタンプ、プリーズ!」である。

近隣諸国からイスラエルへの越境ポイントは数ヶ所あるのだが、その内キング・フセイン橋(イスラエル名はアレンビー橋)だけはイスラエル入国の痕跡を残さずに入出国できる(可能性がある)という、素敵な国境なのである。
この後、順を追って紹介するが、ざっと説明すると…
ヨルダン側の国境では特に何も言わなくても、別紙に出国スタンプを押してくれて、再入国の際もそれを見せれば問題なし。
イスラエル側の入国の際、「ノースタンプ、プリーズ!」が成功すると入国スタンプを別紙に押してもらうことができ、出国時にはそれを見せれば問題なし。
これでヨルダン、イスラエル共に出入国の痕跡はパスポートに残らない、というからくりである。
こう書いてしまうと簡単そうだが、実際パスポートにスタンプを押されるか押されないかは運次第である。
合言葉を言うタイミングを逃したっていう人もいるけど、ちゃんと言ったにもかかわらずバシっと押されてしまい、「あ〜ら、ごめんなさい。」などとお茶を濁されてしまったという笑えない話も数多く聞いている。
実際のところ、入国時にスタンプを押されるかどうかは、担当の入国管理官のさじ加減というか、その時の気分次第といった、実に曖昧な要素が多分に関わっているっぽい。
嫌がらせ的な側面もありそうである。
ということはすなわち、いかに管理官の気分を損ねないようにするかが、旅人にとっての最大の焦点となるわけである。
ちなみに旅人にとって最悪の展開は、パスポートに「入国拒否」のスタンプを押されることである。
イスラエルに入れないだけでなく、このスタンプのおかげでアラブ諸国への入国も拒否されることになるからである。

ちなみに何でこの国境だけこんなことになっているかというと、現在イスラエル領となっているヨルダン川西岸、ウエストバンクと呼ばれている地域を、ヨルダン側はイスラエル領とは認めておらず、よってこの国境は非公式な国境である…というわかったようでよくわからない理由かららしい。
ただしこの国境、イスラエルからの出国税が格段に高いというおまけが付く。
他の場所は98.5シェケル(NIS、1NISは23円くらいなので約2266円)前後なのに対し、ここは167.5NIS(約3853円)である。

さてさて、どうなることやら。


ちなみに。
イスラエルに関しては変わった制度や不思議な習慣なんかが多くて、当時のボクらも含めて説明を必要とすることだらけだと思います。
話があっち行ったりこっち行ったりとなかなか進まないと思いますが、暇な方はお付き合い下さい。
それから歴史的・宗教的背景や現在の中東情勢なんかが頭に入っていないと、何のことだかわからない話も数多く出てくると思います。
可能な限りは説明を加えようと思いますが、全部書くとなるとそれはそれはすごい量になってしまうので、詳しく知りたい方はご自分で調べることをお勧めします。
イスラエルに関して、本当は書きたいことが本当に山のようにあるんですが、全部を説明するのはちょっと無理だと思います。
とにかくいろんな意味で衝撃的な、実に印象深い国であったことを付け加えておきます。


というわけで、国境越え当日。

この翌日はヨム・キプールという、イスラエルで最も重要な祝日である。
ユダヤ教徒は新年から10日間懺悔をするのだが、10日目に当たるのヨーム・キプールで、この日は断食をして去年1年の罪を悔い改めるのだそうな。
ヨム・キプールは空港なんかを含めて全ての施設が休みとなり、国境もその前日(つまりボクらの国境越え当日)の午後から閉まってしまう。
つまりヨム・キプールなイスラエルを見るためには、この日の午前中が入国のリミットだったわけである。

ちなみにこの時は直接中東和平交渉の真っ只中。
交渉中にイスラエルが入植凍結期限を延長しないことを明言したため、パレスチナ側がミサイル攻撃をし、その報復としてガザ地区にミサイルがぶち込まれ、数人の死者が出る…といった具合に、きな臭いことこの上ない時期だった。
さらにもう一つ。
第4次中東戦争は、別名ヨム・キプール戦争と呼ばれている。
ユダヤ教徒にとって最も重要な祝日、すなわち1年の内でイスラエルの警戒が最も緩むヨム・キプールの日に、1973年、エジプト・シリア連合軍が奇襲攻撃をかけたのである(前半だけではあるが、アラブ諸国が唯一優勢であった中東戦争)。
そして明日はそのヨム・キプール…。
もしかしてヤバい?とは思いながらも、逆にこんなチャンスは滅多にないと思い、イスラエルに向かうことにした。

ボクらの他2人の日本人学生の計4人で、前日のうちに宿に頼んでおいたタクシー(1台20JD、約2400円)で、朝5時半に出発し、1時間ほどで国境に到着。
ヨム・キプール前だからなのかどうかわからないが、朝からたくさんの人が待っていた。
8時にイミグレーションが開き、まずはヨルダンの出国手続き。
8JD(約960円)の出国税を払うと、何も言わなくても別紙に出国スタンプを押してくれた。
無事出国手続き完了。

イスラエルは西欧諸国並に物価が高いと聞いていたので、忘れずに免税店でタバコを購入。
止まっていたシャトルバス(3JD、約360円)に乗り込み、緩衝地帯を抜けて、いよいよイスラエル側のイミグレーションに到着。
バスを降りると、人がごった返している場所があるので、大きな荷物がある人はそこで預けると、そこでパスポートの裏にシールが貼られる。
普通のリュック程度なら預ける必要は無いのだが、そういう人でも預けた荷物が0個であるというシールを貼ってもらわないとイミグレの中には入れないので注意が必要。
ちなみにボクらは荷物のほとんどをアンマンの宿に預けてきたので、持っていたのは小さなリュックだけ。
というのも、預けた荷物は厳しい荷物チェックにあう可能性があると聞いていたからである。
PCも中身まで厳しくチェックされる場合があると聞いていたので、ボクらはPCも置いてきた。
場合によってはこの荷物チェックで1時間以上かかった人もいるらしい。
そこでFree Palestina!なんて書かれたTシャツだとか、反イスラエル的な本なんかが出てきた日には目も当てられないわけである。

荷物を預け終わると、今度はイミグレーションの入り口でまたパスポートの裏側になにやらシールを貼られて、やっと建物の中に入ることができる。
実はこの2枚のシールも厄介なものの一つ。
このシールをはがした跡ってのが、アラブ諸国入国の際にイスラエル入国の証拠として見咎められるのだそうな。
これを防ぐ最善の方法はパスポートカバーを付けておくことである。
そうすればその上に貼られるので、パスポートカバーを外せば一丁上がり。
パスポートカバーが無い人はできるだけ早くはがせば、結構上手くはがれるらしい。
あと、ミカンの皮を使うときれいにはがせるなんて噂も耳にしましたが…真実の程や、いかに。

さぁて、ここからが本番。
いよいよイスラエルへの入国審査となるわけだが、審査官の気分次第でスタンプの行方がどうなるかわからないとなれば、ブース選びも慎重になる。
よく見ると「VIP」と書かれたブースがある。
うーむ、VIPにするべきか否か…。
結局ボクらはVIPと書かれていない方のブースに並ぶことにした。
並んでいる間、VIPの列を観察していると…日本人が審査官と口げんかになってるし。
少なくとも、あっちの審査官は機嫌がいい訳ではないらしい(笑)。
あ、ちなみにイスラエルのイミグレーションにいる係員は全員女性
こんな国、他では見たことない。
さらにちなみに。
イスラエルでは男性のみならず、女性にも兵役の義務がある(18才から男性は3年間、女性は21ヶ月間。その後も男性51才、女性24才になるまで毎年一定期間の兵役に就かなければならない。この兵役義務はユダヤ人にのみ適用され、アラブ人は適用されないそうな。ただし最近は兵役拒否が問題になっているらしい。)。
そんな国、他にあるのかな。
まぁ、建国と同時に戦争(第1次中東戦争)へ突入し、ネコの手も借りたい状態だったお国事情を考えれば、むべなるかな。

そしてついにボクらの番。
パスポートを差し出しながら、にこやかに(←ここポイント)、かつはっきりと(←ここもポイント)「ノースタンプ、プリーズ!」
普通ならここで「なぜスタンプを押してはいけないのか?スタンプを押されたくないのに、なぜイスラエルへ入国したいんだ?この後、どこの国へ行くんだ?」などなどの質問ラッシュになるらしいのだが、ボクらの並んだブースの審査官は(わかってるわよ。)と言わんばかりの顔でうなずいてくれたばかりか、笑顔まで。
お、これはいけるかも…。
この後も普通なら質問攻めタイムが始まるはずなのだが、ボクらが聞かれたのは…
「入国の目的は?」
「観光です。」
「どのくらい滞在する予定?」
「1週間くらい。」
「イスラエルではどこに行く予定?」
「エルサレムだけ。」←これはウソ
「エルサレムではどこに泊まるの?」
「Golden Gate Innです。」←これもウソ
…と、これだけ。
おぉぉ、これはすんなりいけたりするかも…。
で、KAOの方はあっさり別紙にスタンプ、ポン。
で、ボクは…あれ、通してくれないの?
「…イランへは何しに行ったの?」
「観光です」
…あぁ、やっぱり。
しばしパスポートを詳細に眺めた後…
「じゃあ、この紙に必要事項を記入して、あっちで待っててね。」
…はい、別審査決定。
そう簡単にはいかないか。

というのも、ボクらのパスポートにはシリア、レバノンに加え、イランといった反イスラエル国家のスタンプがずらりと並んでいる。
いくら日本人とは言え、ボクらがそんな国々のスパイじゃないとは限らない。
スパイじゃないとしても、そんな国々の友人なんかに情報提供を頼まれていないとも限らない。
こんな風にちょっとでも疑わしいと思われた人は、渡された紙に必要事項(名前やら滞在予定先やら今まで行った国やら)を書き込んで、別審査を待たなければならない。
ブラックリストならぬ、グレーリスト入りといったところか。
で、この待ち時間が、人によっては2時間だったり5時間だったり8時間だったり。
さぁて、ボクらはどれくらい待たされることになるのか…。

と思ったら、意外と40分くらいであっさりと名前が呼ばれ、記入した紙と交換にパスポートと入国スタンプの押された別紙を受け取ることができた(この時、ばっちりスタンプを押されたパスポートを渡された、なんていうかわいそうな旅人もいるらしい)。
おぉ、やったぜ。
(ちなみに日本人は3ヶ月以内の観光目的の滞在であれば、ビザは必要ない。)
午後に国境が閉まるので、向こうも急いでいたから、待ち時間が短くて済んだのかな?
別審査も厳しい場合は別室に連れて行かれて、例えばイランではどこへ行って何をしたのか、友人はいるのか、テヘランの印象はどうだったか…などなど、根掘り葉掘り聞かれることもあるんだそうな(もちろんイランに限った話ではない)。
おぉ、怖っ。

この後、荷物検査場でもボクらのリュックは特に検査なし。
というわけで…

無事イスラエルに入国!!!!!
ボクらにとって29ヶ国目となった。
通貨単位はシェケル(NIS)。
日本との時差はサマータイム中なので6時間…だと思っていたら、ヨム・キプール直前の日曜日でサマータイムが終了するので、ちょうど通常時間(時差7時間)に戻ったばっかりだった。
首都は…これまたちょっと複雑なのだが、イスラエルは1948年の建国時にエルサレムを首都とすると宣言している。
ところがその前年、「エルサレムは国連管理下におく」との国連決議が採択されているのである。
つまり「エルサレムはイスラエルのものではない」ということである。
なぜこんなことになったのか…について書こうとすると、イスラエル建国にまつわる壮大な歴史小説みたいになってしまうので、興味のある方はご自分で調べて頂きたい。
要するに、国連決議を反故にする形となっているため、諸外国は大使館をエルサレムではなく、テルアビブに置いているという次第である。
首都一つとってもなかなか一筋縄ではいかない国であることがおわかりだろう。
まぁ、そんな国に何とか無事入ることができたわけである。

この日、イスラエルへ入国しようとした日本人8人の内、「ノースタンプ、プリーズ!」の合言葉を使った7人全員がノースタンプに成功。
1人は今後アラブ諸国に行く予定が全くないので、バシッとパスポートにスタンプを押してもらっていた。
しかしボクらの前々日に入国しようとした日本人8人の内6人までもが何の理由もなくパスポートにスタンプを押されてしまったんだそうな。
入国審査官のきまぐれとしか思えん。
例えばイスラエルからヨルダンに戻った後に陸路で北上を考えていた場合、シリアに入ることができないので空路でトルコ辺りへ飛ぶしかない、という悲しい状況になってしまう。
もしどうしてもシリアやレバノンに行きたければ、パスポートを作り直す以外に手は無い。
まっさらなパスポートを持っていること自体、シリア入国時に疑われてしまうかもしれないが。
まったくもって面倒な国である。
ちなみに自国民以外でイスラエル入国の際の審査が最も緩いのは…アメリカ国民だそうな。
なるほど。

参考までに。
なぜ、ボクらが入国審査時にいくつかウソをついたのか。
まず訪問予定都市については、エルサレムの他にベツレヘムやヘブロンという街へ行くつもりだったのだが、この2つの街は現在パレスチナ自治区であり、少しでも変な疑いをかけられないため。
それからエルサレムでの滞在先についてだが、実際に泊まる予定だったのはPaim Hostelという宿。
この宿は宿泊費の高いエルサレムにおいて数少ない、というかほぼ唯一の安宿(しかも親日的らしい)なのだが、実はこの宿、かつては各国のジャーナリストが密かに使っていたことがあるため、この宿に泊まる人はイスラエル側に目を付けられる、という噂があったからである(本当かどうかは知らない)。


で。
イミグレを出たところにエルサレム行きシェルートのチケット売り場がある(8JD、約960円)。
(お気付きの方もいるかとは思うが、ご覧のようにアンマンからエルサレムまではヨルダンのお金だけでたどり着くことができる。ボクらはアンマンで両替してから行ったが。)
シェルートとは主に中距離を移動する乗り合いタクシーのことで、ここでは10人乗りくらいのバン。
イスラエルに入ったとたん、乗り物がぐっときれいになったのが印象的だった。

そしてエルサレム旧市街の西側にあるダマスカス門のすぐ近くに到着。
エルサレムでの宿、Palm Hostelもすぐ近くである。



これがボクらのヨルダン〜イスラエル国境越えの一部始終である。
この国境を越えるつもりの旅人には参考になったかもしれないが…それ以外の人にはつまらない日記だな。
最後までお付き合い下さった方、ありがとうございました。
次回からはやっとイスラエルでの日々について紹介します。
ではー。

[PON]

1日のうちに遺跡観光と国境越えをするとどうなるか。

  • 2011/01/13(木) 09:18:21

<現在、アルゼンチン・エル・カラファテにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年9月15日の日記*


もう4ヶ月も前の日記…。


さて。
この日は実にハードなスケジュールになった。
ダマスカスから南下してボスラ遺跡を見学し、そのままさらに南下して国境を越え、ヨルダンへと入国するのである。

今日もいつもの4人で行動開始。
ダマスカスのガラージュ・ソーマリーエからボスラへダイレクトバスがあり、所要2時間ほどでボスラに到着。
ボクらは大きな荷物を持っていたのだが、遺跡の入り口の近くにあるレストランで水か何かを買えば、預かってもらうことができた。


入場料は…忘れちゃった。
学割で10SP(約20円)だったかな。

紀元前1世紀からペトラを首都とするナバタイ王国の北の拠点として成長したボスラは、その後ローマ統治下でも繁栄したそうな。
このボスラ遺跡、ユネスコの世界遺産に登録されている。
ボクらにとって55個目の世界遺産となった。


入り口にあったモザイクタイル。


ボスラ遺跡といえばこれ。
世界で最も完全な姿で残る巨大なローマ劇場である。
確かにこれほど保存状態の良い円形劇場は見たことないかな。


舞台を正面から見たところ。
すごいなー。
でかいなー。


劇場の外に出ると、ローマ時代の遺跡が広がっている。
真ん中辺りに見えるのは、片方が家と一体化しているカリベという不思議な門。


探検探検。


列柱の続く通りを歩く。


これは…何だったかな。
神殿かカテドラルの跡…のような気がしないでもない。
あぁ、曖昧。


ローマ浴場の跡。
このくぼみはどう使うのだろう。


とりあえずシンジくんを入れてみたものの、よくわからず。

このボスラ遺跡、ローマ劇場は本当にすごかったんだけど、それ以外の部分は実際住んでいる人なんかもいて、普通の生活と一体化しているあたりがちょっと残念な感じだった。
っていうか、世界遺産内に住んでてもいいのか?


遺跡で遊ぶ子どもたち。


家族で遺跡見学。
この写真、KAOが撮ったものである。
イスラムの国々では、男性が女性の写真を撮ろうとすると、ほとんどの場合断られてしまう
ボクでは撮り得なかった写真だな。


シリア人にナンパされてるところ?


さぁて、シリアからヨルダンへ向かいますか。
って、大変だったんだ、これが。

荷物を預けておいたレストランのおっちゃんが営業してきて、タクシー1台800SP(約1600円)で国境まで行ってくれるとのこと。
本来はダラアという街までバスで移動して、そこから国境越えのセルビスタクシーに乗るのが一般的なのだが、言い値が思ったよりは安かったし、予定より遅くなってしまっていたので、できるだけ楽に移動したいなーと思って、ボクらはタクシーをチャーターすることにした。
…が。
そうは問屋が卸さない。
遺跡歩きで疲れ果てて爆睡しているうちに着いたのは、シリア〜ヨルダン国境の手前側
え?
このタクシーで国境は越えてくれないの?
交渉してみても、乗ってきたタクシーはここまでとのこと。
で、困っているボクらにわらわらと寄ってくる、新たな国境越えを生業とするタクシー運ちゃん軍団。
…言い値が高すぎる!!←いくらだったかは忘れたけど、とにかくとんでもない値段
どんだけ交渉しても値が下がらなかったので、泣く泣くそこら辺の車をヒッチハイクして(←と言っても当然有料、1人50SP、約100円)、結局当初行く予定だったダラアの街まで戻る羽目になった。
本来ボスラ遺跡からダラアまでバスで1人あたり25SP(約50円)のところを、10倍の250SP(約500円)もかけて、しかもめっちゃ時間かかって(本当は30分くらい)辿り着いたことになる。
むむむむむ。


ダラアのガラージュ・シャームでヨルダン行きのセルビスタクシーの値段を聞いたところ、正規料金の1台800SP(1600円)。
最初っから、ちゃんとこっちに来ればよかったー!
と言っても、あとの祭りだな。

さて、国境越え。
まずはシリア側のイミグレ。
ボクらはレバノンからシリアへ再入国した際、3日間有効のトランジットビザしか取得していない。
なぜか。
理由は簡単。
安いから。
2週間有効のツーリストビザが24USDなのに対し、3日間有効のトランジットビザは8USD。
そりゃ安い方がいい。
しかもなぜかその3日間を超えて滞在しても、(少なくとも日本人は)何のお咎めもないという噂。
これにチャレンジしない手はないということになったのわけなのだが、最近は超過料金を取られるとの噂もちらほら。
さて、どうなる…。

無事通過!

どういうことなのかさっぱりわからないが、とにかく問題なくシリアを出国することができた(出国税500SP(約1000円)はちゃんと支払った)。
よかったよかった。
ヨルダンへの入国もスムーズに完了。
ヨルダンは国境で1ヶ月滞在可能のツーリストビザが無料で取得できた。


というわけで、無事ヨルダン入国!
ボクらにとって28ヶ国目となった。
正式名称はヨルダン・ハシミテ王国。
日本との時差は6時間(サマータイム中)。
通貨単位はヨルダンディナール(JD)で、1JDは…120円くらいだったかな。
ヨルダンも中東の国の一つとして危なっかしいイメージを抱きがちだが、実際は政治的にも安定しており、特にイスラエルとの和平協定の後は、中東を代表する観光大国への道を歩んでいるようだ。
ただしパレスチナ難民も多く、反イスラエル、反米意識も根強く残っているそうな。


ダラアの街から乗ってきたタクシーは、ラムサという街に無事到着。
ここで大事件が!
乗ってきたタクシーにトキちゃんが忘れ物をしたらしい!
大量のお菓子を(笑)。
エネルギーが切れる(=おなかが空く)とてき面に動けなくなるトキちゃんにとっては、重大な事件だったらしい。
ひとりでテンション、ダダ下がりでした。
ま、数十円くらいのものだったのですが(笑)。

しかーし。
それを上回る出来事が。
ラムサから首都アンマンへのバスはもうないらしい(本当かどうかは微妙)。
じゃあ、タクシーで…
またもや言い値が高すぎる!


30分以上かけて値段交渉、っていうかほとんどケンカ。


協力的な現地の人(←腹がドラえもんみてぇだな)登場!
…するも、さほど状況変わらず。
結局…いくらだっけな、みんなでヒートアップしてたんで忘れちまったぃ。
まぁ、とにかく今からアンマンへ帰るところらしい兄ちゃんに乗せてもらう形(それでもかなり高かった)で、なんとかアンマンへ行ける…
と思いきや。


今からタイヤ直すんかいっ!
今からガソリン入れるんかいっ!

結局、目的の宿Mansur Hotelに辿り着いたのは20時を回っていました(道がわからなくてぐるぐる街を回ってくれた兄ちゃん、ありがとう)。
いやぁ、つっかれたー。


本日の教訓:観光と国境越えは別々の日にしよう。

[PON]

爆撃された街。

  • 2011/01/06(木) 10:37:18

<現在、アルゼンチン・エル・カラファテにいます。ふたりとも健康です。>
*2010年9月12日〜14日の日記*


まずは。
明けましておめでとうございます!
みなさんにとって、そしてもちろんボクらにとっても今年が素晴らしい年になりますように。
さぁ、今年もバリバリ旅を続けますよぉ。
さぁて、いつまで続くことやら。



さて。
マルムーサ修道院からシリアの首都ダマスカスへ移動しましょうか。
本来は修道院でお願いしてタクシーを呼んでもらうのですが、ボクらは何とかなるでしょーといって下りてきたらあんまり何とかならず、ずいぶんと待ちぼうけすることになってしまいました。


ひま。
ちなみにこの時、道ばたでトキちゃん、号泣中。
読んでいるのは浅田次郎著「椿山課長の七日間」。

1時間以上待った後、他の人が呼んだであろうワゴンタクシーに便乗させてもらって、ダマスカスへ(1人150SP、約300円)。
街の中心部にある宿を何軒か回って、ダマスカスでの宿はAs-Sa'ada Hotelにすることにしました。
4人部屋で1泊1人500SP(約1000円)。
トイレとシャワーは共同で、簡単な朝食付きです。


旧市街散策へ。
すると怪しげな出店がいっぱい。


輪になったレール上に重い台車が取り付けてあり、それを勢いよく押して、レール上を何周させられるかゲーム、のようなもの(←伝わっているだろうか)。


マス目の書かれた紙の上にコインを放って、コインがのっかったマス目に書かれた金額をもらうゲーム、のようなもの(←伝わっているだろうか)。


レール上に取り付けられた台車を思いっきり押して、鐘を鳴らすことができるかゲーム、のようなもの(←伝わっているだろうか)。
このようなちょっとしたゲーム的な出店がたくさんあり、人々が群がっていました。


かき氷屋さん。


露店のDVD屋さん。
トムとジェリー、名犬ジョリー、アラビアンナイト…でしょうかね。


未来少年コナンと…ヘイジ?
銭形?


派手な鉄塔みたいなものを背負ったこの人は水屋さん…だったかな。


城壁に囲まれたオールド・ダマスカス(旧市街)の中へ入ってみましょうか。


旧市街の中でも最大のスーク(市場)であるスーク・ハミディーエです。
夕方ともなると、すごい人出です。


その中でも明らかに1軒だけ賑わっている店がありました。


この白い塊、何だと思います?
実はこれ、アイスクリームです。
このアイスクリーム屋、いつ行っても大賑わいでした。


で、こんなアイスクリーム。
大きな塊からちぎり取ったアイスクリームを砕いたピスタチオの中に放り込んでまぶしたものです。
1つ50SP(約100円)。
美味かったー。
2回食いに行っちゃいました。
あ、一つアドバイスがあります。
コーンとカップが選べるのですが、カップにした方がいいと思います。
コーンだと山のように盛ってくれるのですが、柔らかいのですぐに溶け始めます。
というか、店内で受け取った時点で既に溶け始めているのですが、店内はすごい混みっぷり。
頭上に持ち上げながら外まで出てくる間に、大勢の人の頭の上にアイスが垂れていました。
えらいこっちゃ。


これは…何だったかな。
モスクか何か。


聖アナニア教会
近くには聖パウロ教会などもあり、新約聖書の舞台となった場所なんだそうです。


店や家のドアにこんな年季の入ったドアノッカーをよく見かけます。
この手の形をしたドアノッカーはイスラム教徒にとっての護符、「ファティーマの手」です。
ファティーマとはイスラム教の創始者ムハンマドの4女で、後に4代目カリフとなったアリーの奥さんになった人。
ファティーマは理想の女性として敬われ、イスラム教徒はファティーマの手を護符にするようになったんだそうな。
ほほぅ。


旧市街内の通りにこんなものがありました。
地面に描かれているのはイスラエルの国旗です。
シリアは反イスラエルを明言する国家の一つ。
あからさまに踏みつけて通り過ぎる人もいました。
踏み絵みたいなもんですな。


この店のチョコクロワッサンが美味いんだ、これが。


オスマン時代に造られたヒジャーズ駅です。
内装やステンドグラスが美しいですねぇ。
既に現役ではないらしく、本屋さんみたいになっていました。


シリアでもジャッキー・チェンは大人気らしい。


ナイキ…っぽいメーカー。
JUST DO IT…ANYWAY?
とにかく?

すっかり忘れていましたが、この街は『古代都市ダマスカス』としてユネスコの世界遺産に登録されています。
ボクらにとって54個目の世界遺産となりました。
ぼくらは行っていませんが、世界最古のモスクであるウマイヤド・モスクや18世紀の統治者の邸宅であるアゼム宮殿なんかがあります。


とある日は、クネイトラへ行ってみることにしました。
クネイトラはゴラン高原というところにあります。
ゴラン高原はシリア、ヨルダン、レバノン、イスラエルの4ヶ国に囲まれており、その肥沃な土壌と水の豊かさに加え、戦略上の要所であったことが理由で、常にイスラエルとアラブ諸国の戦争の舞台となってきました。
シリアは1967年の第3次中東戦争でイスラエルに敗北し、このゴラン高原を奪われました。
1974年の第4次中東戦争でシリアはこのゴラン高原を奪還したのですが、イスラエル撤退の際にイスラエル軍によって徹底的に破壊されたのがこのクネイトラです。
イスラエルによる残虐行為の記録であるとして、シリアは爆撃跡を修復することなく公開しているのです。

クネイトラに行くには、まずダマスカスの新市街にある内務省の機関で入域許可証を発行してもらう必要があります。
申請所まではタクシーで(1台75SP、約150円)。
パスポートを預けるだけで、許可証は30分ほどで発行してもらえます。
市バスでガラージュ・ソーマリーエまで移動し、そこからミクロバスを乗り継いででクネイトラへ(15+35+10=60SP、約120円)。

クネイトラは現在、国連監視下の非武装地帯となっています。
ゲートで許可証とパスポートのチェックを受けると、国連の職員がガイドとして案内してくれます。
…が。
フランス語しかできない。
全く何を言っているかわかりませんでした。


すごいですね。


原形を留めている建物はほとんどありませんでした。


写真や映像で見るのと実際見るのとでは、衝撃を受ける度合いが全然違います。
とにかくあらゆる建物が破壊されています。


銃痕でボコボコになった木。


これは病院。


よく見ると、色の濃い部分は銃痕です。
銃で蜂の巣にされるとは、こういうことを言うんですな。


内部もこんな感じ。
無残。
1時間ほど、みんなほぼ無言で歩きました。
戦争とはこういうこと、なんですね。
どっちが良いとか悪いというわけではなくて、とにかく衝撃的な風景でした。


というわけで…


今年もよろしくお願いします。

[PON]